珍しく翡翠が強く言葉を発した。
「志貴さまの前でそんなはしたない。すぐに着替えに行きましょう! さあっ!」
「え、あ、ちょ、ちょっと〜?」
アルクェイドが翡翠に押されて歩いていく。
「……?」
何だろう。
翡翠の潔癖症は今に始まった事じゃないけど、今日はやけにそれが顕著なようであった。
「屋根裏部屋の姫君」
第六部
姫君とメイド
その35
「……うーむ」
アルクェイドの着替えを部屋の外で待っている俺。
翡翠も一緒に部屋に入ってしまったのでヒマであった。
その間に翡翠の事を考えようと思ったけれど。
「集中できない……」
やはりどうしても部屋の中の事が気になってしまった。
きっとアルクェイドの事だから素直に服を着ないで文句を言っているんだろう。
翡翠は必死に服を着せようとするのだが、抵抗するアルクェイドの胸に手が当たり……
「……いかんいかん」
頭の中の映像を首を振って消し去る。
「取り合えず戻ってきたらもう一度注意してと」
それから仕事を始めるとしよう。
「おまたせー」
能天気なアルクェイドの声。
「来たな。おまえは……」
そこには金髪のメイドさんが立っていた。
「……どなた?」
「志貴、それ新手のギャグ?」
「いや、わかってるけどさ」
つまりアルクェイドがメイド服を着ていると、ただそれだけの事なのだが。
「……うん」
丸っきり印象が違って見えるから、服装の力ってのは恐ろしいもんである。
「如何でしょうか」
「翡翠がこれを?」
「ええ。予備のものがありましたので」
「似合う?」
以前も一度アルクェイドが勝手に翡翠のメイド服を借りて着た事がある。
その時も思ったけれど。
純粋無垢なアルクェイドとメイド。
その組み合わせの破壊力といったらもう……
「……馬子にも衣装って感じ」
「嘘ばっかり。顔赤くしてるくせに」
「う、うるさいな」
なんていうか、まともに顔も見れなくなってしまった。
こんなんで大丈夫なのか俺。
「やはり着ているものから気持ちというものは入るものです」
「確かにやる気出てきた感じするわよ」
にこりと笑うアルクェイド。
「それならいいけど」
それで本当に仕事がはかどってくれるのなら、文句はない。
「行きましょう。姉さんが待ってます」
「はーい」
ぱたぱた音を立てて走りだすアルクェイド。
「アルクェイドさま、そのような足音を立ててはいけません」
「わかってるわよー」
やっぱり何か嫌な予感がするんだよなあ。
「おやおや素敵なメイドさんのお出ましですねー」
俺の部屋に琥珀さんを迎えにいくと、嬉しそうな顔でアルクェイドを見つめていた。
「えへへ、やっぱりそう思う?」
「はい。清楚×清楚みたいな乗算がたまりません」
さすがは琥珀さん、ツボをしっかり理解している。
「ではさっそく掃除ですね」
「なんかそこにたどり着くまで無駄に時間がかかった気がする」
実際にはそんなでもないんだろうが。
「ではバケツと雑巾を持ってー」
「持ってー」
「……?」
バケツと雑巾?
アルクェイドは手に何も持っていない。
翡翠はもちろんの事。
俺もだ。
「……風呂場に忘れてきた」
アルクェイドのせいで慌てて移動したからな。
「も、申し訳ありません志貴さま。すぐに……」
「ああ、もういい、いいから秋葉の部屋で待ってて」
こんな事をやっていたら掃除をやるまえに一日が終わってしまいそうだ。
「うおりゃー!」
無駄に気合を入れてダッシュで風呂場へ向かい。
「うおおおお!」
水の入ったバケツと雑巾を持って戻ってきた。
「はぁ……はぁ」
さすがに全力疾走で階段往復はきつかった。
「志貴さん大丈夫ですか〜?」
「すいません、本当に……」
翡翠はひたすらに申し訳なさそうな顔をしていた。
「ああ、うん、ちょっと休んでるから……俺の事は気にしないで掃除やってて」
「は、はい。ではアルクェイドさま」
「おっけー」
さっそくとばかりに雑巾を手に取るアルクェイド。
「……先輩がこの光景を見たらどう思うんだろうなあ」
真祖の姫君がメイド服を着て、バケツの水に浸した雑巾を絞っている。
シュールどころの騒ぎじゃなさそうだった。
「こんなもんでいいかな?」
「はいはい。ではそれで窓を拭いてくださいなー」
そう言いながら俺の傍にちょこんと座る琥珀さん。
「琥珀さんは手伝わないの?」
「手伝いたいのは山々なんですけどー」
「姉さんは絶対に割れるものに近づかないで下さい」
翡翠が怖い顔で琥珀さんを見ていた。
「……というわけでして」
「そういえば部屋の掃除は苦手なんだっけ」
「や、これがもう、自分で言うのもなんですが苦手とかそういう次元ではなくて」
あははと力無く笑う琥珀さん。
「翡翠の料理下手くらい?」
こっそり耳元で尋ねる。
「ある種、それ以上です」
「それは恐ろしい」
絶対にやらせてはいけない事として覚えておかなくては。
「こっちの窓は拭いたわよー?」
「あー、やっぱり背が高いと楽そうですねー」
アルクェイドの隣の翡翠は窓の高いところを背伸びをしながら拭いていた。
その姿は見ていて可愛いんだけど、やっぱり大変だと思う。
「水雑巾で拭いたら次は乾拭きです。本当は新聞も使いたいんですが、秋葉さまが絵的に宜しくないと仰せられるので今回はやりません」
「新聞って何気にゴミ取れるんだよな」
学校の掃除とかでよく使ってた気がする。
「乾拭きね。はいはい」
雑巾を持ち変えて再び窓拭きを再開するアルクェイド。
「うーむ」
「どうしました志貴さん」
「いや、やたら素直だなあと思って」
「それが制服補正というものです」
そういうもんなんだろうか。
「それに元々アルクェイドさんは素直じゃないですか」
「まあ……ね」
なんか俺に対する反応と違うんだよなあ。
俺がアルクェイドになんか言うといちいち文句言うくせに。
「こちらも終了です」
「はーい頑張ってねー」
翡翠も乾拭きの雑巾へと変えて窓へ向かった。
「アルクェイドさまには負けません」
「面白いじゃない」
熱い視線を向ける翡翠をアルクェイドは笑顔で見ていた。
っていうかいつからこれは二人の勝負になったんだろうか。
「切り札を使わせて頂きます」
「お?」
びしっとアルクェイドを指差し宣言する翡翠。
「ま、まさか翡翠ちゃんアレを使うのっ?」
大げさに驚いてみせる琥珀さん。
「いや、何故に少年漫画のノリに?」
こういうのは嫌いじゃないけど。
「見て下さいっ!」
そして翡翠が、勢いよくその切り札とやらを俺たちに披露した。
続く