「切り札を使わせて頂きます」
「お?」

びしっとアルクェイドを指差し宣言する翡翠。

「ま、まさか翡翠ちゃんアレを使うのっ?」

大げさに驚いてみせる琥珀さん。

「いや、何故に少年漫画のノリに?」

こういうのは嫌いじゃないけど。

「見て下さいっ!」

そして翡翠が、勢いよくその切り札とやらを俺たちに披露した。
 
 

「屋根裏部屋の姫君」
第六部
姫君とメイド
その36



「これは……」

俺はそれを見て別の意味で驚いた。

 「……椅子?」

首を傾げているアルクェイド。

「他の何かに見えますでしょうか?」
「いや……」

翡翠の出したそれは、何の変哲もないごくごく普通の椅子であった。

といっても値段を聞いたら仰天するような代物なんだろうが。

「それはやっぱり上に乗って高いところを拭くために使うんだよね?」
「何かいけませんか?」
「あ、ううん」

切り札というくらいだから、もっと凄いものを想像してしまっていた。

しかし、これがごく普通の世界の対応なんだろう。

寒いから自分で太陽を作っただの、他人から熱を奪っただの、このドリンクを飲めば一発で……などという人たちとは違うのである。

「それならいいんだ。それで」

と自分に言い聞かせてみても、やはりどこか物足りないなという気持ちもあった。

「うーむ」

じっと椅子を見つめる。

見れば見るほど普通だ。

「椅子の上での作業ってバランス悪くて危ないんじゃないか?」

普段こんなものを使って翡翠が掃除をしているのを見たことがない。

もしかしてアルクェイドに対抗するために無理をしようとしてるんじゃないか。

「大丈夫?」
「全く問題ありません」

翡翠はとても自信満々だった。

「……ならいいけど。一応支えておく?」

それでも念のために尋ねてみる。

「ダメよー」

するとアルクェイドが口を挟んできた。

「なんでだよ」
「ご主人さまは手伝っちゃダメでしょ?」
「ごっ……」

その不意打ちの呼び方にぐらりと来てしまった。

警戒していなかったためにそのダメージは非常に大きい。

「あ、もしかして気に入った?」
「ば、ばか」

頬の筋肉が緩んでいるのがわかる。

多分相当なにやけ顔になっているんだろう。

「ご、しゅ、じ、ん、さ、まー」

そう言いながら擦り寄ってくるアルクェイド。

「止めろってば」

なんだか世の中でメイドブームが起こっている理由がわかってしまった気がした。

「うふふふふふ」

あれやこれやと発音を変えてご主人様を連発してくるアルクェイド。

「あのーごしゅじんさまー。楽しんでるところ悪いんですがー」
「……琥珀さんだとなんか普通に聞こえるな」
「うわ。それはわたしの呼び方に魅力が無いって事ですか?」
「あ、いやそういう意味じゃなくて」

むしろ琥珀さんは俺の名前を呼ぶ時に妙に艶っぽく呼ぶ事があるのだ。

そっちの破壊力を知っているせいだろうか。

「悪いけど何よ?」

アルクェイドが尋ねる。

「あ、はい。いちゃいちゃされるのは全く構わないんですが」
「……別にいちゃついてるわけじゃ」

でも多分世間一般ではこれをいちゃついてると言うんだろう。

「いいから用件を言いなさいよ」
「あ、はい。アルクェイドさんと志貴さんがそんな事をやっている間にー」

後ろを指差す琥珀さん。

「?」

振り返ってみると。

「うわっ」

ほとんどぴかぴかになった窓がそこにあった。

「ま、まさか翡翠が?」
「そのまさかですよー。椅子の力は伊達じゃありませんでしたね」

確かに椅子のおかげで上から下まで拭くという作業がスムーズになったようだ。

「アルクェイドさん。あなたはついに翡翠ちゃんを本気にさせてしまったのです」
「な、なによ。まだわたしの方が早いわよっ」

そう言って窓へ向かうアルクェイド。

「このっ」

しかしあせっているせいか、さっきよりもかなり雑な掃除の仕方になってしまっていた。

「それではいけませんねー。汚れが残ってしまいますよ」
「ひ、卑怯よ琥珀っ!」
「あらま」

琥珀さんはあたかも心外だという顔をした。

「アルクェイドさんの仕事が遅れたのは志貴さんといちゃついてたせいじゃないですか」
「……くっ」

全くもってその通りである。

「志貴のばかっ!」
「俺が悪いのかよっ」

調子に乗ったのはそっちが先だったくせに。

「ここでおしまいです」
「くっ……!」

翡翠の残すところは、姑が指で触って埃がついてるわよという馴染みのネタで有名な窓枠だけであった。

「言っとくけど、翡翠の仕事の妨害だけはするなよ」

先手を打ってアルクェイドに警告しておく。

「わ、わかってるわよっ」

左右に大きく窓を拭いていくアルクェイド。

こちらもあと少しで窓枠に取りかかれそうな感じだ。

「これでっ……!」

一番下のラインを拭き進み。

「よしっ!」

そして最後の部分でなぎ払うように窓から手を離した。

ガッ。

「あ!」

その腕が椅子の背もたれにぶつかってしまう。

衝撃自体は些細なものではなかったんだろうが。

「……っ!」

その衝撃に驚いた翡翠が動いた事でバランスを崩してしまった。

「危ないっ!」

俺は慌てて翡翠を受け止めに走った。

ばしっ!

「……だ、大丈夫?」

だがアルクェイドが素早い動作で落下以前の状態で背中を押さえてくれていた。

「は、はい……」

アルクェイドに支えられ姿勢を戻す翡翠。

「……やっぱり椅子は危ないよ」
「脚立を用意しないとダメですねえ」
「申し訳ありません……」

翡翠はしゅんとしていた。

「あー、翡翠は悪くないでしょ。わたしがぶつかったのが悪いんだから」

するとそんな事を言うアルクェイド。

「……アルクェイドさま」
「ほら、どうせ残りは椅子に乗ってなくても出来るじゃない?」

確かにアルクェイドの言う通り、窓枠は翡翠の身長でもなんとか届く高さにあった。

「じゃあ、次回からは気をつけましょうという事で」
「は、はい」
「事件解決。掃除再開っ」
「はーい」
「……かしこまりました」

再び掃除を再開する二人。

「なかなかいい感じになってきたんじゃありません?」
「そうだな」

お互いに競って掃除をする事で、二人の間に連帯感みたいなものが出来つつある。

普段だったらアルクェイドが翡翠を庇うなんて考えもしなかっただろう。

「これで……終了です」
「お」

先に終了を宣言したのは翡翠のほうだった。

「はーい。ではわたしが採点しまーす」
「じゃあ一応俺も」

翡翠の掃除した窓を眺める。

反射して自分の姿は綺麗に見えるし、埃ひとつも見当たらない。

「窓枠もオッケー……と」

まさに完璧な仕事であった。

「アルクェイドのほうは……」
「まだ終わってないわ」

そう言って自ら窓枠を指でなぞるアルクェイド。

「あー」

その指先には確かに埃がついていた。

「でも綺麗だぜ?」

ぱっと見ただけなら翡翠の仕事と見劣りしないくらい窓は綺麗だった。

「それでもやっぱり本職には敵わなかったわねー」
「いえ、アルクェイドさまの技術はかなりのものでした。途中のロスが無ければ負けていたのはわたしでしょう」
「……次は負けないわよ」

翡翠の言葉を聞いて、アルクェイドはにこりと笑った。

「はい。期待しております」

翡翠も笑顔で返す。
 

そして二人は手を握り合うのであった。
 

続く



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