『ちょっと声が小さいかニャー? もう一回いくぞー!』

これもお約束。二度目のコール。

『せーのっ』

「エトくーん!!!」
「え……エトくんっ」

翡翠にしては珍しく大きな声を出していた。

そして。

『のこのこ』
『ふむ。エト君が出て来るそうだ』

「お……」
 

ついにエト君が俺たちの前にその姿を現した。
 
 

「屋根裏部屋の姫君」
第五部
姫君と動物園
その18







「……」

こつこつと音を立てて歩いてくるエト君。

「どうなってんだろうな……あれ」

エト君は真っ黒けの鹿だ。

もちろんそんな生物が現実に存在するわけはない。

ガクガク動物ランドオリジナル生物なわけである。

だが生物と言ってもあくまでお話の中でのこと。

本当は何か仕掛けがあって動いているはずなのだ。

「うーむ」

足もすごく細いから、中に人間が入っているというのはあり得ない。

糸とかで動かしている様子もないみたいだし。

「エト君の正体はガクガク動物ランド最大の謎として設定されてたりします」

俺が首を傾げていると琥珀さんがそんな事を言った。

「琥珀さんでもわからないの?」
「はい。黒魔術か何かでも使ってるんじゃないかなーと」
「またそんな非現実的な」
「あはっ。そしてエト君ってどうして動くんだろうと思う事が大人へ成長した印だとも言われてますね」
「……」

確かに子供はそんな事考えないで見ているんだろうなあ。

「志貴っ。すごいよっ。エト君が歩いてるよっ」
「あー、はいはい」

そう、エト君が歩いてるだけではしゃいでいるこいつみたいに。

「……はぅ」
「ひ、翡翠ちゃんっ? ここで失神したらもうエト君が見られないよっ?」
「そ、そうでした。……気を強く持たなくてはいけません」

一瞬ぐらついた翡翠だったが琥珀さんの言葉でなんとか持ち直したようだった。

「写真OKかな。このショーって」

写真が問題ないならエト君も撮っておくべきだと思うんだけど。

『おっとべいべー。アチキたちを写真で撮るのは禁止だぜ。アチキたちは不思議の国の生物だからニャー。魂を吸い取られてしまうのだ』

どこの時代の生まれだおまえ。

「……って俺を見て突っ込んだっ?」

今間違いなくばけねこが俺に声をかけてきたよな。

『おう。たりめーだ。おこさまばかりのなかでおまえのようなぼくねんじんやろーは目立つんだよ』
『ば、ばけねこっ。せっかく見にきてくださってる方に失礼ではないですかっ』

うん、明らかに俺に絡んできている。

朴念仁と言ったら俺しかいないからな。

「会ったばかりのばけねこに言われる俺って一体何なんだろう」

深く考えてしまう。

「いや、適当に言っただけですってきっと」
「そうなのかなぁ」

へこむぞ本気で。

『へいにーちゃん。そんなにアチキのびぼーを見たいんだったらもっと近くによってきなっ』

「え」

なんとばけねこは舞台から降りて俺たちに近づいてきた。

俺たちの付近に子供たちが群がってくる。

『こら、ばけねこ勝手な事をっ……』
『こういうアクシデントがイベントにはつきものなのニャっ』

いや、アクシデントっていうか自分から起こしてるだろっ。

『メガネくんゲット』

「う」

そしてばけねこのふわふわの手が俺を掴んだ。

「あー。ずるいっ」

アルクェイドが負けじとばけねこの手を掴む。

『おおう。これはアチキに似た美女。あんたもカモーン』

なんとばけねこはそれでアルクェイドも連れてく気になったらしい。

「やったあっ」
「おいおい……」

ばけねこに引っ張られステージ上に。

『ふっふっふ。こいつらは人質ニャッ! 助けて欲しかったら給料の値上げを要求するニャっ!』

ぺちんっ。

知得留先生がばけねこをハリセンではたく。

近くで見ると中々の迫力だ。

『勝手な事ばかりしないでくださいっ。まったくもう……予定が台無しじゃないですかっ』

アハハハハハと笑い声が響く。

ばけねこの行動は子供に大ウケのようであった。

『ふむ……まあせっかくだ。彼らに自己紹介でもしてもらうとしよう』

「え」

何だこの展開は。

新手のイジメかっ?

「はーいっ。わたしはアルクェイド=ブリュンスタッドっていいまーす」

元気よく挨拶するアルクェイド。

『うむ。よい返事だ。皆も参考にするとよい』

それにしても教授は近くで見るとますます渋い。

『……仕方ありませんねえ。あの、そちらのあなたはなんてお名前ですか?』

「え、ええと」

『なんだなんだー。いい年して自分の名前すら言えないのかー?』

また笑い声が響く。

穴があったら入りたい気分だ。

っていうか今の光景を有彦とかに見られたら死ぬ。

「と、遠野志貴です」

とりあえず黙ってるのもなんなので大人しく名乗っておいた。

『志貴ですか。いい名前ですね』
『うむ。男らしい名前だ』

「そ、そうですか。ありがとうございます」

名前を褒められて悪い気のしないやつはいないだろう。

俺は素直に頭を下げた。

『自分の名前とは大切なものだ。きちんと書けるようになるんだぞ、みんな』

はーいと会場の子供が手を挙げる。

「……些細な事も教育に繋げているのか」

ガクガク動物ランドの意外な一面を見た気がする。

『ではせっかく会場にあがってくれたことですし……エト君でも撫でていきますか?』

「え」

それは俺なんかよりもむしろ翡翠にさせたほうがいいんじゃ。

「……」

見ると翡翠はものすごく羨ましそうな顔で俺を見ていた。

あんな顔した翡翠初めてみるぞ。

「触らせてくれるの? わーいっ」

アルクェイドは翡翠にまったく気づいてないのか両手でバンザイして喜んでいた。

子供たちからいいなーという声があがる。

「えへへ。いいでしょー」
「子供に自慢するなよ」

こんなやつをステージに挙げてスタッフはさぞ困ってることだろう。

『あはは、ノリのいいお姉さんですねー』
『アチキに似て美人だしニャ』

だが残念な事にガクガク動物ランドご一行には大変好評のようであった。

「実はおまえここの住人だっただろ」
「何が?」
「いや、なんでもないよ」

アルクェイドは子供っぽいからこういう世界にすぐ馴染むんだろうな。

「むー。まあいいや。エト君。おいでおいで」

手招きをするとエト君はそれがわかったのかアルクェイドに近づいてきた。

ホントにどうなってるんだろう。

「……うーむ」

近くで見てもさっぱりわからん。

「いい子いい子〜」

俺の疑問をよそに嬉しそうにエト君の頭を撫でるアルクェイド。

エト君も大人しく頭を撫でられていた。

「志貴も触ってみなよ。あったかくて柔らかいよ?」
「……むぅ」

触りたい気持ち半分、触りたくない気持ち半分。

「ええいままよっ」

覚悟を決めて触ってみた。

動物の毛皮のふさふさな感触。

確かに暖かい。

呼吸もしているようだ。

もしかして……本物?

『きのこここ』

「うおっ」

エト君の声が聞こえたので慌てて手を離した。

『くすぐったいそうだ。そのへんで止めておいてやれ』

「あ、はい」

ぶるぶる首を振っているエト君。

それはほんとにくすぐったかったような仕草だ。

『エト君は滅多に触れませんからねー。貴重な体験ですよ?』

「……」

お、俺はエト君なんかよりもっと奇妙なヤツと同棲してるんだからなっ。

エト君を触るよりもっと凄い経験だってしてるんだぞっ。
 

などと心の中で妙な対抗をしてしまう俺であった。
 

続く


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