何も言わず、頷いてやった。
「……」
凛とした表情でエト君に向き直る翡翠。
そうして、本当にゆっくりと優しい手付きで頭を撫でる。
「あ……」
緊張していた翡翠の表情が緩んだ。
そして心から喜んでいると感じられる、幸せそうな微笑を浮かべるのであった。
「屋根裏部屋の姫君」
第五部
姫君と動物園
その20
『それじゃあみんな。まったニャー』
こうしてガクガク動物ランドご一行は去っていった。
「よかったな、翡翠」
「はい……一生の思い出です」
最初はエト君にちょっと嫉妬心みたいのを抱いてしまったけれど翡翠の笑顔を見ていたらそんな気は無くなってしまった。
むしろ翡翠にこんな表情をさせてくれたエト君に感謝したいくらいだ。
「うう、ここが撮影禁止でなければ翡翠ちゃんの表情を激写しまくれたのに……」
「琥珀さん、それは思ってても口にしないほうがよかったと思うよ」
「いいですよもう。翡翠ちゃんの笑顔は心のフィルムにしっかり焼き付けておきましたから」
「はいはい」
ああもう琥珀さんに絡むんじゃなかった。
「面白かったね、志貴」
アルクェイドが笑顔で尋ねてくる。
「ん……まあな」
いつもだったらガクガク動物ランドの面白さがわからない俺ではあるが。
やはり直で見ると違うものなのか、最後まで楽しんで見ることが出来た。
「ガクガク動物ランドを見たくなったらいつでも部屋に来てくださいね? 全話保存してますからっ」
びしっと親指を立てる琥珀さん。
「い、いや、それは遠慮しておくよ」
「あ、わたし動物園編もう一回見たいな」
「あはっ、いつでもお待ちしておりますよー」
「……」
これから琥珀さんのガクガク動物ランドへの誘いが強くなりそうなのは確実であった。
「シエル先輩はどうだった?」
途中あんまり反応のなかった先輩に尋ねてみる。
「ふむ。色々参考になりましたね。あの状況での間の取り方は戦闘にも役立ちそうです」
「へ、へえ、そうなんだ」
いつどこでどんなふうに戦闘要素があったんだろう。
知得留先生のツッコミとかか?
「……」
そして最初から最後までへの字口のままショーを見ていた秋葉。
「妹? つまらなかったの?」
「……」
秋葉は何も言わずそっぽを向いた。
「……ははーん」
それを見て怪しい笑いを浮かべる琥珀さん。
「ど、どうしたの?」
「いえ、もしかしたら秋葉さまもガクガク動物ランドに興味を持ったのではないかなーと」
「な、な! 誰がそんな! ばけねこが意外に可愛いだなんて粉微塵も思ってないですからねっ!」
「……妹、ばけねこ好きなの?」
「う」
秋葉、見事に自爆。
「わたしもばけねこ好きよ? えへへ、一緒だね」
にこりと笑うアルクェイド。
ご存知の通り翡翠はエト君にベタ惚れ、琥珀さんはどちらかといえば教授派。
シエル先輩は知得留先生が好きだと言っていたのでばけねこを好きなのは今のところアルクェイドだけ。
同志が出来た事がきっと嬉しいんだろう。
「な、そんな冗談ではありませんっ! わたしはばけねこなんてキライですっ!」
「そうなの?」
「そ、そうです。あんな身勝手で自己中心的な……」
「秋葉、言ってて耳が痛くないか?」
「兄さん」
「なんでもございません」
ばけねこはいわゆるワガママな子供の象徴的キャラクターだ。
自分の感情に素直になれず悪戯ばかりをしている。
そして普段は強い自分を装っている……と。
もしかしたら秋葉はばけねこに自分を重ねたのかもしれない。
「ばけねこってほんとはいい子なのよ? ちゃんと見てればわかるんだから」
「……」
今回のショーでもさんざん悪戯を繰り返したばけねこがみんなに無視され落ち込むシーンがあった。
ばけねこの独白。
『駄目だニャ。アチキは素直になれなくて……ホントは教授や知得留先生とも仲良くしたいのに……』
というセリフは思わず感動してしまったからな。
「知得留先生はばけねこのそんなところに気付いてるから一緒に授業をしてるのよ」
「うーん」
俺は本編をあんまり知らないよくわからないけど、もっと深くて細かい設定があるんだろうなあ。
「だからキライだなんていったらばけねこがかわいそうでしょ」
「……」
今の言葉はばけねこの置かれている立場、心境をわかってないと言えないセリフだ。
「だから……」
「今のは言い過ぎました。すいません」
なんとあの秋葉がアルクェイドに向かって頭を下げた。
「……ですが現時点では私はばけねこは嫌いです。だからもう少し情報を得る為にそのガクガク動物ランドとやらと見るのも必要なのかもしれませんね」
「え……」
それってつまり。
「あはっ。やっぱり秋葉さま本音は見たいんじゃ……」
げし。
「いったぁー! 秋葉さま、弁慶は反則ですよ弁慶はっ!」
「あ、あはは……」
琥珀さんも野暮な事言うの好きだよなあ。
「まったくもう……」
「あはは、おっかしいの」
まあ、秋葉との付き合いはこれくらいが丁度いいのかもしれないけど。
「ガクガク動物ランドグッズも売ってないのかな?」
「どうなんだろう」
こういうのは限定イベントだから難しいと思うんだけど。
「さあさあガクガク動物ランド限定ストラップあとわずかだよ〜」
「えっ?」
「なんですって!」
「限定……?」
翡翠、琥珀さん、アルクェイドの三名が声のした方向に目線を移す。
「あ、ストラップ無料配布してるんですよ。お一人様ひとつだそうです」
するとシエル先輩がそんな事を言った。
しかもその手にはその限定ストラップらしき知得留先生の人形が。
「し、シエルいつの間に?」
「いや、普通に並んで普通に貰ってきたんですが」
一体いつの間に。
これも普段の仕事のなせる業だろうか。
「ちなみになんでも好きな物を貰えるようですね」
「な、並ばなきゃっ」
しかしもう既に子供たちのながーい列が。
「……貰えるかどうか微妙ってとこだなぁ」
むしろ無理というレベルであった。
「そんなぁ。シエル先輩っ。どうしてすぐに教えてきれなかったんですっ?」
非難の声をあげる琥珀さん。
「いや、なんだか取り込み中だったみたいなので」
「そ、それは……」
琥珀さんの目線がアルクェイドに移る。
「わ、わたしのせい?」
アルクェイドは秋葉に目線を。
「……わ、私はそれこそ関係ありませんよっ。私に話を振った兄さんが……」
「俺かよっ?」
そうすると俺は誰に責任転嫁をすればいいんだ。
「……」
いかん、翡翠と目が合ってしまった。
ええとええと。
まさか翡翠が悪いだなんて言えるわけないし、実際何も悪くないし。
「……待ってください。この翡翠には策があります」
すると翡翠が何かを決意したような顔でそんな事を言った。
何だろう。一体何があるって言うんだろう。
「それは一体……?」
ガクガク動物ランドショーの会場で、俺たちは場に合わない妙に緊迫した雰囲気を漂わせているのであった。
続く
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