いかん、翡翠と目が合ってしまった。
ええとええと。
まさか翡翠が悪いだなんて言えるわけないし、実際何も悪くないし。
「……待ってください。この翡翠には策があります」
すると翡翠が何かを閃いたような顔をしていた。
何だろう。一体何があるって言うんだろう。
「それは一体……?」
ガクガク動物ランドショーの会場で、俺たちは場に合わない妙に緊迫した雰囲気を漂わせているのであった。
「屋根裏部屋の姫君」
第五部
姫君と動物園
その21
「さ、策ってまさか翡翠ちゃん……『逃げるんだよぉ〜〜!』ですか?」
「逃げてどうするんですか姉さん」
それは地上最強の生物と戦う時に使う手段である。
「この列に並んで普通にストラップが貰えるとは思えないわよ?」
そしてこいつが地上最強の生物兼俺の彼女。
「……そう考えるとなんか凄くやだな」
「どうしたの? 志貴」
「いや、なんでもないよ」
つい脇道にそれてしまった。
「そこが盲点なんです。今この列に並ばなければストラップは手に入らないという考えが」
「……いや、だって並ばなきゃ貰えないだろ」
まさか子供から奪い取るわけにもいかないだろうし。
「違います。このガクガク動物ランドショーはこの一度だけでは終わりではないんです」
「……あ」
それってまさか。
「次のガクガク動物ランドショーを待ってその時に並ぶって事?」
「その通りです」
「……」
それはまたずいぶんと気の長い計画である。
「だって次の開始時間は二時間後だぜ?」
「はい。ですから二時間後にまたここに来ればいいんですよ」
「馬鹿馬鹿しい。私は来ませんよ」
秋葉は顔をしかめていた。
「ストラップを欲しい方だけが集まればよいのです。しかも極端な事を言えばそのストラップを配る直前に来ればいいわけですね」
「まあショーの内容は見ちゃったわけだからな」
舞台にあげられる大人や子供は違うだろうけど内容事態はそんなに大差ないはずだ。
最後の翡翠のイベントだけは特別って感じがしたけど。
「むー。じゃあ二時間後にここに集合?」
「俺は遠慮しておく」
「私もです」
「なるほどなるほど。ではではここで一旦解散といたしましょうか。元々各自で動いてたわけですし」
「そうですね。わたしも他の研究をしなくてはいけません」
シエル先輩は一体この動物園で何の研究をしているっていうんだろう。
聞きたいけど聞かないほうが幸せのような気もする。
「二時間かー。何しよっか?」
とりあえずアルクェイドは時間まで俺に付いて来るつもりのようだ。
「んー、まあ適当に」
元々ちゃんとパンフレットを見てないので何がいるかもよくわからないのだ。
「とりあえず近くの虎などいいのではないですか?」
「虎か……虎には思い出があるな」
「へぇ。例えばどんな?」
「アイガーアイガーアイガーアパカー」
「……は?」
「いや、なんでもない」
格ゲーネタは女の子にはきついよなやっぱり。
「グランドを弱強で出すと2HITコンボ出来たことありましたよね」
「琥珀さん……まだいたの」
いきなり背後から声が聞こえたから何事かと思ったら。
「うわ。誰も突っ込んでくれない悲しい志貴さんを救ってあげたのにこの言い草。あんまりです」
よよよと泣き崩れる琥珀さん。
「姉さん。置いて行きますよ」
「あ、待ってよ翡翠ちゃ〜ん」
絡むだけ絡んでおいて琥珀さんは去っていった。
「……で、どうするの?」
「虎行こう」
なんだか考えるのが面倒になってしまった。
「イチゴさんの絵も気になるし」
まあこっちは邪魔するととんでもない事になりそうだからこっそり様子を伺うことにしよう。
ある意味虎より怖いからな。
「そういえばなんか描いてるとか言ってたもんね」
「なんかって……虎の檻の前にいるんだから虎を描いてるんじゃ?」
「それはわからない」
あの人の行動パターンは下手したらアルクェイドよりも読めないからなあ。
「虎を見て驚いている人の顔とか描いてる気がする」
きっと一瞬の表情を記憶して描いているのだ。
「あ、じゃあわたしは虎の檻の注意書きを描いているに一票」
「……いくらなんでもそれはないと思うぞ」
一体どんな人間なんだよイチゴさんって。
「正解したら何か買ってねっ」
「俺が勝ったらおまえが何か買ってくれるのか?」
「んー。キスしてあげる」
「却下ですっ! そんな交渉許しませんっ!」
お約束どおり怒鳴り声をあげる秋葉。
「秋葉はどう思う?」
火の種はさっさと消してしまうに限る。
俺は意表を突いて秋葉に質問をしてみた。
「え?」
呆気に取られた顔をする秋葉。
「いや、だからイチゴさんが何を描いてるか」
「そんな事どうでもいいじゃないですか」
「5、4、3」
「ちょ、ちょっと待ってください。ええとええと……」
どうでもいいと言っておきながらもカウントされると考えてしまうのが人の悲しいサガ。
「2、1」
「と、虎ではない何かっ」
「広すぎ」
「通行人っ」
「まあそんなところだろうな」
なにがそんなところなのかは自分で言っててよくわからないけど。
「妹が正解したらわたし妹にキスしなきゃ駄目なの?」
「お断りですっ!」
「うーむ」
アルクェイドと秋葉がキスしてたらある意味すごい絵になると思うが。
実現するのは翡翠の料理が上手くなることくらい不可能なレベルだろう。
「じゃあ志貴が妹にする?」
「アホ」
「ぶー」
そんなにキスさせたいのかおまえは。
「……とにかく行くぞ」
こんな調子じゃどこにも行かずに二時間経過してしまいそうである。
「あ、ちょっと待ってよー」
「……兄さんとキスはアリだと思うのですが……」
秋葉の怪しい呟きを聞こえなかったことにして虎の檻へと向かう。
「……」
虎の檻の前ではイチゴさんがスケッチブックとにらめっこをしていた。
檻の中の虎がやたらと怯えているように見えるのは気のせいなんだろうか。
「なんだか虎が元気ないね」
「本当ですね。どうしたんでしょう……」
「……」
いや、イチゴさんは関係ないよな。関係ないに決まってるさ。
「んー……」
ビクウッ!
イチゴさんが声を出した途端に檻の端にぴったりと貼り付く虎。
「……」
「どうも駄目だね。有間。これ見てどう思う?」
「え」
目線をスケッチブックから外さないまま俺に話しかけるイチゴさん。
「気付いてたんですか?」
「足音でね」
「……」
どんな耳してるんだよこの人。
「そんな事はいいからこいつを見てくれ、どう思う?」
「どうって……」
スケブを覗き込むとそこには見覚えのある光景が描かれていた。
「あれ?」
これってもしかして。
「なになに? 何が描いてあるの?」
「これは……」
アルクェイドも秋葉も驚いた顔をしていた。
「ちと距離が遠かったな。もう少し近くで描くべきだったよ」
「いや、滅茶苦茶上手いですよ」
「まぁそう言ってくれるのは有り難いんだがね」
「ほんとですって。教授もエト君もばけねこも知得留先生も完璧に描かれてるし……」
そう、イチゴさんの描いた絵とは。
「あの会場こんなんだったよねっ。すごいっ。わたしたちも描かれてるのかなっ?」
虎の檻の近くでやっていたガクガク動物ランドショーだったのである。
続く
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