わざとらしく腰掛けてみる。
ぬちゃ……
「え」
同時に腰に感じる嫌な感触。
「ま、まさか……」
俺はゆっくりと立ち上がった。
「ぺ、ペンキがついてるだとおっ!」
「な、なんですってー!」
思わずどこかで見たようなやり取りをしてしまうマヌケな二人であった。
「屋根裏部屋の姫君」
第五部
姫君と動物園
その23
「お前なぁ。ペンキ塗りたてって描いてあるのに座るバカがどこにいるんだよ」
叫び声を聞きつけてか、イチゴさんが呆れた顔をして歩いてきた。
「い、いや、だってその」
それは琥珀さんが他の人間を座らせないための策略だったんじゃ。
「わ……わかりました兄さん。私たちは……とんでもない思い違いをしていたんですよっ!」
「な、なんだってー!」
まだ続くのかよこのネタ。
何の事だかわからない人はマニアな友だちに「キバヤシって誰?」と聞けば全て教えてくれるだろう。
しかし俺はともかく秋葉までこんなノリなのは実に謎である。
「いいですか兄さん。先ほど一子さんは仰いました。『メイドの一人があそこに行って何やらやってたような』と」
「ああ。言ったな」
「よく考えてください。メイドの一人。琥珀ではなくもう一人いるでしょう?」
「もう一人ってまさか……」
まさかも何も一人しかいないんだけど。
「そう、翡翠です。琥珀の策略でもなんでもなくて、単にペンキ塗りたてだと気付いた翡翠が善意で行ってくれた行為だったんですよ!」
「ここまで来ると偶然ではない…… もはや『必然』―!」
「そのネタ暑苦しいから止めろ有間」
「……すいません」
やってる本人は楽しいけど巻き込まれる方としては鬱陶しいもんなあ確かに。
一度有彦に何を言っても「な、なんだってー!」と返される一日を過ごした俺が語るんだから間違いない。
「つまり琥珀さん中心で考えすぎたってことか……」
「ん、どっちが琥珀だったっけ。リボンのほうか?」
「あ、えーとはい。リボンのほうです」
琥珀さんは翡翠と見分けがつきやすいように今日もいつものリボンをつけてくれている。
「ここのテラス見てたのはそっちなんだが?」
「え」
琥珀さんが普通に善意でペンキ塗りたてと描いたということなのか?
「そ、そんな兄さん。ありえないですよ。どういうことなんですか?」
「……」
「俺にだって……わからないことくらい……」
「有間」
「すいませんもうしません」
俺にわからないことなんてたくさんあります。
「でもほんとに謎だなあ」
後で琥珀さんに聞いてみるか。
「そんなに重要な事なの? それは」
アルクェイドが木陰に座ってため息をついていた。
「いや、まあどうでもいいっちゃどうでもいいんだけどさ」
どうでもいいことが気になるのが人間というものである。
「素直に木陰でお弁当食べたほうがりこうでしょ?」
「言ってる事は正しいがなんか腹立つなあ」
軽くアルクェイドを小突く。
「ぶー。深読みしすぎる志貴と妹が悪いんでしょ」
「そっちの姉さんの言ってる事が正しいよ、有間」
「うぐ」
「まあ……この際食べられるならなんでもいいです」
イチゴさんを味方に得たアルクェイドと敵対するのは不利だと悟ったのかいやに秋葉は素直であった。
「……そうだな」
俺も頷いておいた。
断じてイチゴさんが怖いから頷いたわけではない。
「おし。まとまったようだし後はうまくやんな。ズボンは買ったほうがいいと思うけどね」
「……はーい」
どこかでズボン売ってればいいけどなあ。
すげえ趣味の悪いのしか売ってなかったりして。
「むしろここで琥珀が現れて『ふふふ、こんなこともあろうかと志貴さまのズボンを……』って展開になるんじゃ」
「それはいくらなんでも……」
だが既にあり得ないことが起きているだけに何が起きてもおかしくはないのであった。
「……とりあえずメシ食おうぜ」
こういう時は現実逃避するに限る。
ペンキのついた場所をハンカチで強引にぬぐいアルクェイドの隣に腰掛けた。
「全部食べたらまずいわよねやっぱり」
「当たり前だ」
というかどう考えても三人じゃ食べられる量じゃないし。
「広げてみましょう」
「だな」
まず風呂敷包みを解く。
重箱がそれこそ何重にも。
「分けて分けて」
分割すると蓋がいくつもあり、それぞれに「志貴さま用」とか「秋葉さま用」とか書いてあった。
「芸が細かいなぁ」
「こんなだからいちいち疑いたくなるんですよ」
「……ははは」
善意のはずの行動が悪く見られてしまうのは日頃の行いのせいというかなんというか。
「これがわたしのね」
とりあえず三人の手元に弁当が渡った。
「んじゃさっそく……」
蓋を開けようとしたその時。
「ちょっと待ったっ! 俺を除いて美女二人と仲良く昼食タイムたぁ虫がよすぎるんじゃないかっ?」
「……この声は」
半分くらい存在を忘れかけてた男。
「あら、乾さん」
「おう、乾有彦さんだ」
キラリと歯を見せる有彦。
毎度のことだが微妙なノリである。
いや、むしろ普段より酷い。
「……どこほっつき歩いてたんだおまえ」
「まあ色々とな」
「先輩から何か貰ってからいやに大人しかったが……」
「目の錯覚だ。いいから俺も混ぜろっ」
そう言ってどさっと座りこむ。
「ケンカでもしたのか?」
どうも有彦の様子がおかしかった。
「はぁ? 誰とだ?」
「いや……」
シエル先輩の知り合いの精霊にななこさんという精霊がいたりする。
何故か有彦とななこさんは知り合いだったり。
そして今日先輩が有彦に手渡していたのは多分ななこさんとの媒介みたいなものだったと思うんだけど。
一応俺がななこさんの事を知ってるのは秘密だって決めてあるんだよなあ。
「なんでもないよ」
自分の事でも大変なのに有彦の心配をしている場合じゃないだろう。
「さあ、じゃんじゃん食おうぜっ」
「はーい」
「そうですね」
幸い有彦の微妙な違いに気付いてるのは俺だけみたいだし。
「ちょっとタンマですっ」
「って……また増えた」
「来たわね悪の元凶っ!」
「……秋葉さま、人を見ていきなり悪の元凶呼ばわりは酷いと思うんですが。しかもわたしのお弁当を広げておいて」
次に現れたのは琥珀さんと翡翠だった。
「どっか見に行くんじゃなかったっけ?」
「そのつもりだったのですが。ガクガク動物ランドをもう一度見ている間に空腹では困ってしまいますからね」
「人間ってそのへん不便よね」
「琥珀。あなたの策略のせいで兄さんのズボンがペンキまみれになってしまったのよっ。どうしてくれるのっ?」
「え? 何の話です?」
「とぼけないで! あそこのテラスで……」
「……俺を間に挟んで口論しないでくれ」
途中にアルクェイドの言葉も混ざっていてとてもややこしい。
「しゃべるよりも飯だっ。俺はさっそく開けるぞっ」
「あ、ちょっと有彦さんっ。それはわたし用のだから駄目ですっ」
「あーっ。いいな妹。そっちのほうが美味しそう。交換しない?」
「却下です。貴方は自分のお弁当を食べていればいいでしょう」
「姉さん、わたしのものはどれでしょうか?」
「ちょ、ちょっと待ってね翡翠ちゃん。ええと……あ、そっちはシエルさまのですよ」
「シエルのお弁当ってやっぱりカレー?」
「……」
俺は一人そっと木の反対側に移動した。
「まあ……ある意味これが正しい形だよな……」
ほとんど諦めに近い言葉を呟きながら。
続く
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