俺は一人そっと木の反対側に移動した。
「まあ……ある意味これが正しい形だよな……」
ほとんど諦めに近い言葉を呟きながら。
「屋根裏部屋の姫君」
第五部
姫君と動物園
その24
「これが翡翠ちゃんのねっ。有彦さんのはこれっ」
てきぱきと弁当を仕分けする琥珀さん。
「あ、スイマセン」
「ありがとうございます」
「……で、あそこのテラスのペンキの話なんですが」
「おいおい」
秋葉はさっそくとばかりに琥珀さんに絡んでいた。
「だって兄さん。曖昧なままではすっきりしないでしょう?」
「まあそれはそうだけど……」
そこまで引っ張るほどの話題じゃないだろうに。
「テラスのペンキとは何の事でしょう?」
「だからとぼけるのはお止めなさい。あそこのテラスがペンキ塗りたてだったでしょう?」
そう言って近くのテラスを指差す秋葉。
「あー。あれですか?」
「琥珀。どうしてあなたがあそこに紙を貼ったの? 偽善?」
「そんな面と向かって偽善と言われましても」
琥珀さんも気の毒になあ。
「強いて言えば翡翠ちゃんが座ったらやだなあと思ったからですけど。それだけです」
ほら、そんな大した理由じゃなかった。
「そんな……もっと何か策があったんじゃないの?」
「買い被りすぎですって。わたしだって何も策ばっかり考えて生きてるわけじゃありませんから」
「……深読みしすぎたということですか……」
「だなぁ」
損をしたのは座ってしまったのは俺一人と。
「もしかして誰か座られてしまったんですか?」
「いや……まあ、うん。俺が」
「お気の毒に。わたしを信じていればこんな事にはならなかったのに……」
「あ、あはは」
今回は琥珀さんの行動が正しかっただけに反論できなかった。
「たまにいい事をしたからって調子に乗らないで頂戴」
「うわぁん秋葉さまがわたしをいぢめますよぅ」
えーんと泣き真似をする琥珀さん。
「翡翠のお弁当には何が入ってるの? 見せて見せて」
「あ、はい。どうぞ」
アルクェイドは俺たちのやりとりなんかてんで興味がないようで、それぞれの弁当箱を覗き込んでいた。
「へぇ。ミートボールかぁ」
「……ミートボール」
それはまたずいぶんと懐かしいものを。
「俺のにも入ってないかな」
弁当箱を開けてみたが、俺の弁当箱の中にミートボールの姿は無かった。
「どうスか翡翠さん。俺のハンバーグとちょっと交換しません?」
「あ、はい。構いませんけど」
「じゃあわたしはカラアゲねっ」
アルクェイドが有彦の真似をして翡翠のカラアゲをひょいと取り上げた。
「え、あの、ええと、その……」
「これとこれとこれと……」
自分の弁当のおかずと翡翠のおかずをぱっぱと変えていくアルクェイド。
「こら。何やってるんだおまえ」
「何っておかずの交換だけど?」
「翡翠が何も言わないからって調子に乗るな。困ってるじゃないか」
「あ、いえ、大丈夫ですから……」
「ほら、大丈夫だって」
「アホ」
翡翠はたとえ好物を取られても何も言わないだろう。
「おかずなら俺が交換してやるから翡翠のは取るな」
「あ、志貴が交換してくれるの?」
「おう」
まだ一口も食べてないんだけどな。
「じゃあええと……チキンナゲットでしょ? おひたしに……」
俺の弁当のおかずを物色し始めるアルクェイド。
「……っていうか琥珀さん。もしかして全員のおかずが違ってたりする?」
「はい。若干被っているものもありますけど必ずひとつは別のものが入ってますよ」
さらりと答える琥珀さん。
結構それって大変な事だと思うんだけどなあ。
「何でそんな事を?」
「それはもちろん、今アルクェイドさんがやっている事を出来るようにです」
「おかずの交換こ?」
「はい。それこそお弁当の醍醐味というやつですね」
「むぅ」
まあそれは確かにそうなんだけど。
「んー。こんなとこかな。はい、志貴」
「どれ……うおっ」
アルクェイドによって中身をいじられた弁当はそれこそおかずでひしめき合っていた。
「元のおかずが全部なくなってる気がする……」
「気にしない気にしない」
「どこから食えばいいんだ……」
これだけ混沌としていると果たして何を食べたらよいのやら。
「好きなものから食えばいいだろ」
有彦が箸を置く。
「まあそうなんだけどさ」
とりあえず気になっていたミートボールを一口。
「……美味い」
さすがは琥珀さんの料理。
アルクェイドによってごちゃごちゃにされたというのに味が失われているという事はなかった。
「あはっ、ありがとうございます。作者冥利に尽きるというやつですねー」
にこにこと笑っている琥珀さん。
「お茶もいかがですか?」
「あ、うん、ありがとう翡翠」
「いえいえ」
翡翠の煎れてくれた美味しいお茶と琥珀さんの手料理。
「……いいなあ」
幸せというのはこういう状態の事を言うんだと思う。
「ふっふっふ。これは志貴のに入ってたヒレカツよ」
「だから何だというんですかアルクェイドさん」
「羨ましいでしょ」
「別に」
「素直じゃないんだからー」
「興味ありませんから」
目の前で下らないやりとりを続けている秋葉とアルクェイド。
こいつらはまあ見なかったということにして。
「っていうかヒレカツ俺食ってないぞっ? 返せっ!」
「もう遅いわよ。食べちゃった」
「な、なんだとっ……」
「代わりにコーンクリームコロッケ入れてあげたでしょ?」
「……なんて不当な交換なんだ……」
アルクェイドに弁当箱をいじらせたことを今更後悔する。
「コーンクリームコロッケいらないならわたしが食べちゃいますよ〜?」
琥珀さんが俺の弁当箱に箸を伸ばして来た。
「……いや、自分で食うよ」
そんなことばかりしてたら俺の弁当箱から全てのおかずが消えうせてしまいそうだ。
「スパゲティっ。ハンバーグっ。じゃがいもっ」
「わわ。志貴さんが何かに取り憑かれたようにっ?」
さっさとおかずを片付けてしまう。
「お茶っ」
「は、はいっ」
もぐもぐごくごく。
「はぁ。気持ちのいい食べっぷりですねえ」
「姉さん、わたしたちもガクガク動物ランドのために急がなくては」
「ん……そうだね。でもよく噛んで食べなきゃ駄目だよ?」
「それは当然です」
俺の食いっぷりを見て翡翠と琥珀さんも食魂に火がついたようだった。
「また下らない事を始めましたね……」
「でも楽しそうじゃない」
「しまった! おかずがもう残ってないっ!」
アルクェイドに取られまいとおかずを先に食べたせいでごはんばかりが余ってしまった。
「あはは。志貴、わたしのも食べる?」
「……ん? いいのか?」
そんな俺に意外な申し出をしてくるアルクェイド。
「うん。志貴楽しそうだから」
「まぁな」
美味い物を食べていると人は幸せに、ハイテンションになるものなのである。
「ハムッ、ウインナーッ、小松菜っ!」
「うどんそばラーメンっ」
「……いや、さすがにそれは入ってない」
「冗談よ」
わけのわからないテンションで進む食事。
「ごちそうさまでしたーっ」
そして完食。
途中みんなが色々分けてくれたのでもしかしたら俺が一番食べたかもしれない。
「お粗末さまです」
満面の笑顔で弁当箱を片付ける琥珀さん。
「美味しかったねー」
「琥珀の腕は確かですから」
全員がなんとなく満ち足りた表情をしていた。
食事前にあんなにもめてたのが嘘みたいだ。
「食事は人類を救うってことね」
「かもな」
普段ならそんな事あるかと言いたくなるアルクェイドの呟きだが、今は頷きたくなるような奇妙な説得力があるのだった。
続く
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