「……ん?」
何やら物騒なサイレンの音が。
「何かあったのかしら?」
「さあ……」
そしてクイズやら何やらと、そんなものとは比べ物にならないネタ……いや、事件が舞い込んできた。
『一般客の皆様へ、緊急連絡です! ライオンが檻から逃げ出しました! ただちに監視員の指示へと従って避難を……』
「屋根裏部屋の姫君」
第五部
姫君と動物園
その36
「な、なんだってえっ?」
放送を聞いて叫び声をあげる有彦。
「アルクェイドさん、秋葉ちゃん。早く逃げたほうがいいぜっ」
「え? なんで?」
「別に慌てる必要はありませんよ」
てんで意にも解さない二人。
「……お、オレがおかしいのか?」
有彦はうろたえていた。
「いや、間違ってないから安心してくれ」
有彦の反応は一般人として非常に正しいものである。
「ただ、こいつらが人間離れしてるだけだから」
そう言っている俺自身も大して動揺していなかったりする。
ああ、もう普通の生活には戻れないんだな。
「どうしよっか。こういう時ってやっぱり正義の味方として止めに行ったほうがいい?」
「正義の味方云々はともかく、被害が増えないようにするにはおまえが行くのが一番だろうな」
こいつならライオンに負けるなんて絶対あり得ないだろうし。
「オッケー。じゃあ人の波の逆を行けばいいのね」
「そういうことになるな」
人々は飼育員さんに案内され南のほうへと駆けて行く。
「ライオンのいるのは北か」
身内が巻き込まれてなきゃいいけど。
いや。
「ライオンに酷い事してなきゃいいけど……」
俺はそっちのほうが心配だった。
「兄さん。私も向かいます」
アルクェイドに対抗するように名乗りをあげる秋葉。
「駄目。秋葉は待機」
「何故です? 私がアルクェイドさんに遅れを取るとでも?」
「怪我されたら困るからだよ」
そう言うと急に顔を赤くしてそっぽを向く。
「ん?」
「わ、わかりました。大人しくここで待ってます」
「そうしてくれると助かる」
なんだかよくわからないけど引き下がってくれて助かった。
「有彦、秋葉の事を頼むぞ」
「頼むって……おまえはどうするんだよ」
「どうするってまあライオンを止めに」
「バカ、そんなの飼育員に任せとけって」
「心配するな。飼育員さんより俺らが相手するほうが安全だから」
と言って気が付いた。
そういえば有彦はアルクェイドの人外パワーを知らないのだ。
「あー、えー、とにかく秋葉のことは任せたっ」
説明するのも面倒なので俺はさっさとアルクェイドと移動することにした。
「オッケー。それじゃ行きましょっ」
「あ、おいこらっ!」
人の流れに逆らうように俺たちは隙間を抜けていった。
「助けてくれーっ!」
「うあーん! うわーん!」
「……なんか凄い事になってるみたいね」
「そりゃ百獣の王が逃げたってんだからな」
動揺してない俺たちの方がおかしいのである。
「つまりライオンに乗って遊べるかもって事よね?」
「全然違う」
まあこいつだったらやりかねないだろうけど。
「おまえが真祖だとばれないように、ライオンを傷つけないようになおかつ一般人に被害者が出ないように事件を解決するんだ」
有彦のおかげで気付いたけど、こいつがいくら人並外れた力を持ってるからって人前で発揮するのはまずいのだ。
普段ならそういうことにもちゃんと気をつけてはいるのだが。
ライオンの逃亡ということに俺はやはりあせっていたのかもしれない。
「何よその面倒な条件。そういうのはシエルの方が得意なんだけどなー」
「シエル先輩が?」
先輩ももちろん今の放送を聞いているはずである。
「じゃあ、もう終わってるかも。先輩が全部解決して」
「えー? 冗談じゃないわよ。それじゃシエルのいいとこどりじゃない。急ぎましょ」
「ちょ、こらっ……」
俺の手を掴んで跳躍するアルクェイド。
ひょいひょいと檻の上を飛び跳ねていく。
「ちょ、こら、おまえ、人前でこんなことしちゃ駄目だってば」
「誰もわたしたちなんて見てないわよ」
「……まあそりゃそうだけどさ」
みんな逃げるのに必死で上を見ている余裕なんてないだろう。
俺たちの動きを見ているのはサル山のサルとか背の高いキリンとかその程度である。
「ん。あそこ人壁が出来てる」
「ほんとだ」
高いところから見ているのでよくわかる。
人で作られた壁と、その中央にいるライオンの姿。
「……あれ、捕まえるつもりあるのかしら?」
「人間じゃあの距離が限界なんだよ」
いくら巨大な鉄の盾を持っていたってライオンは怖いに決まってる。
「まあいいわ。とりあえずシエルいないみたいだし、近づいてみましょう」
「あ、うん」
シエル先輩はいないのか。
最も平和的にかつ安全に事件を解決してくれる人なのになあ。
「よっと」
少し離れたところに着地して野次馬に紛れていく。
逃げる人のほうが多いが、やはり野次馬の数もそれなりにあった。
「あ。志貴さん」
「……琥珀さん」
そう、例えばこういう物好きそうな人とかが。
「なんですかそのああやっぱりみたいな顔は。わたしは志貴さんを待っていたんですよ?」
「いや、普通に逃げてくれて構わないから」
「まあいいじゃないか有間。ライオンの逃亡シーンなんぞ一生に一度見れるかどうかわからんぞ?」
「……イチゴさんまで……」
がくりとうなだれる俺。
この人たちはもっと危機感を持ったほうがいいと思う。
「いいからさっさと逃げてください。後はなんとかしますんで」
「ずいぶんな自信だね有間。超能力でも身につけたん?」
「あ、いや、俺じゃなくてアルクェイドがなんとかするんで……って」
これじゃ有彦の時の二の舞である。
「琥珀さん、イチゴさんを安全なところへ」
とりあえずイチゴさんにはどこかに行ってもらわないと。
「あ、はーい。安全なところでしかと見させていただきますんで」
「いやいや見なくていいから」
「あたしは大丈夫だって。むしろ有間が心配だぞ。どんくさいんだから」
「あ、あはは」
反論できないのが悲しい。
「ではみんな揃って逃げるということでファイナルアンサーにしましょう」
「琥珀さん?」
琥珀さんは目で話を合わせてくださいと言っていた。
「そ、そうだね。うん、みんなで逃げよう」
「……ま、それならしょうがないか」
「えー? ここまで来て?」
「いいからついて来い」
みんなで琥珀さんの後ろへついていく。
「ちょ、ちょっと早い……」
人ごみをかきわけさっさと進んでいくイチゴさんと琥珀さん。
「主婦とかこういう人の波に強そうよね」
「……満員電車に慣れたサラリーマンもな」
もしくはアキラちゃんが行っているとかいう夏のイベントの猛者。
あいにく俺はどれにも該当していなかった。
「ああ、どんどん遠くに……」
あっという間に琥珀さんたちの姿を見失ってしまう。
「はぐれちゃったね。放送で呼んでもらおうか?」
「いや、ちょっと待て」
はぐれたということはつまりイチゴさんを気にしなくてよくなったということだ。
「そういうことか……」
これが琥珀さんの作戦だったわけである。
「よし、引き返すぞ。ライオンをなんとかするんだ」
「あ。いいの?」
「最初言ったように真祖だとばれないように、ライオンを傷つけないようになおかつ……」
「はいはい、わかってるわよ」
踵を返し再びライオンのいるだろう方向へ向かう俺とアルクェイド。
果たして全ての条件を満たして事件を解決出来るのだろうか?
「……大丈夫かな……」
なんだか胃がきりきりと痛み出してしまう俺であった。
続く
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