「わー。志貴が翡翠いじめたー。いっけないんだー」
「だあ。みんなが俺に注文ばっかりするからいけないんだよ」
「そ、そんな事はありません」
「そうよ。志貴の気のせいだってば」

嘘だ。絶対嘘だっ。

「うう……」

このまま動物園に行っても俺はこんな風にみんなのパシリにされるんじゃないだろうか。

そんな不安が頭をよぎってきていた。

いや、乾姉弟がいなかったら確実にそうなっていたことだろう。
 

乾家姉弟ががどうかこの俺を助ける救世主となってくれますようにっ!
 
 




「屋根裏部屋の姫君」
第五部
姫君と動物園
その9









「はーい、それじゃみんな準備はいい?」

そんなこんなで騒がしい朝食も終わり、ようやく駅へと出発する事になった。

なんだかここまでずいぶん長かった気がする。

「わたしはおっけーですよ〜」

琥珀さんは珍しく和服ではなく動きやすそうな格好をしていた。

ぴちぴちのジーパンなのでお尻のラインがいやに強調されて見える。

「あはっ。志貴さんどこを見ていらっしゃるんですか?」
「あ、いやその」
「兄さん」
「い、いや、珍しいから驚いてただけだって」

秋葉はいつもの格好にアレンジがちょっと加わったような感じだ。

「まったく……」

見慣れているので面白くもなんともない。

「リュックサックも持ったし……チケットもよしと」

アルクェイドはそれこそいつもの白い上着に紫のスカート。

しかし格好に不釣合いな俺のお下がりのリュックサックを背負っている。

「リュックは手に持っておけって」

正直言ってその格好は相当に奇妙だ。

「えー?」
「俺が持っててやるから」
「やだ。わたしが持ってるの」
「……へいへい」

まあそのうち飽きて「志貴持って」とか言い出すだろう。

「で、翡翠はどこ行ったのよ。姿が見えないけど」

アルクェイドが尋ねる。

「翡翠ちゃんは着替えの最中ですよ〜。何を着ようか悩んでるんでしょう」
「そういえばあんまり外に出ないもんなあ……翡翠」

たまに外出することがあってもメイド服のまんまだったりするし。

今回はメイド服は駄目だと言っておいたのである。

まさか動物園までメイド服で行かせるわけにはいかないからな。

「志貴さん、翡翠ちゃんの着替えシーンでも想像してるんですか?」
「してないって」
「信用なりませんね」
「おいおい」

俺の信用ってどこまで低いんだよ。

「お、お待たせしました……」
「ん」

どうやら翡翠が来たようだ。

「悪いな……」

と振り返って驚いた。

「きゃーっ。翡翠ちゃん素敵ーっ」

琥珀さんが歓声を挙げる。

「や、止めて下さい姉さん」

控えめな淡い水色のワンピース。

それは翡翠に着られるために作られたんじゃないかってくらいによく似合っていた。

「いや、驚いた。妖精みたいだ」
「志貴さま、そんな……」

顔を真っ赤にしている翡翠。

あんまり服装について話すと翡翠は気を失ってしまいかねない勢いだった。

このへんで止めておくか。

「ふむぅ。わたしも地味な格好ではなくてもっと人目を引く姿のほうがよかったですかね」

シエル先輩が翡翠に変な対抗心を燃やしていた。

「いや。先輩は質素な中に魅力が溢れてるんだよ」
「おやまあずいぶんと口がうまくなりましたね遠野君」

目を丸くしている先輩。

「いや真面目な話」

先輩がど派手な服を着てるところなんてまったくイメージできなかった。

「……喜んでいいのか悪いのか微妙なところですねえ」

まあそれも確かに。

「まあいいわ。とにかくみんな揃ったことだし、しゅっぱつしんこーっ」

そんな下らない会話を続けているとアルクェイドが天高く腕を伸ばして叫んだ。

「叫ばないで下さいっ、まったくもうっ……」

もはや恒例となった秋葉のツッコミが入り、しばしの喧騒の後ようやく俺たちは歩き出すのであった。
 
 
 
 

「おーい、こっちだこっち」

駅前に着くと有彦が俺たちに向けてぶんぶん手を振っていた。

「おう有彦。待たせたな」
「まったくだよ。何してたんだ?」
「いや、色々と無駄な事を」
「……まあ女の支度は時間がかかるっていうしなあ」
「それ以前の段階で時間を食った気がしないでもないけど」

自分でもどうしてあんなに時間がかかったのかわからない。

小さな時間の積み重ねでそうなっちまったんだろうけど。

「それよりイチゴさんはどうしたんだ?」
「ん? 姉貴はタバコと飲みもんの補充に行ったぞ」
「イチゴ? おやつですか?」

秋葉が尋ねてくる。

「いや、有彦のお姉さんのイチゴさん。今回同伴してくれることになった」
「……ふぅん」

それを聞いた途端に顔をしかめる秋葉。

「誤解しないように言っておくけど引率者としてイチゴさんを呼んだんだからな。昔動物園に連れてってもらった事があるし」
「そうそう。姉貴とコイツになんかあるとかあり得ねえから」

有彦がかんらかんらと笑い声をあげる。

「……そういえば以前兄さんに下着を洗ってくれと頼んだ事のある方でしたね」

またどうしてそう余計な事ばっかり覚えてるかなこいつは。

あれはアルクェイドの下着を見つかったから仕方なく言ったデマカセなのに。

「秋葉さま。志貴さんが世話になった事のあるお方なんですから。その弟さんの前でそんな事を言っては失礼ですよ?」

琥珀さんが秋葉をたしなめる。

「そ、そうでしたね……すいません。私としたことが」
「いやいや俺は全然気にしてねぇよ」

有彦は女の子に対しては非常に寛大である。

俺に対しては何かに付けて鬱陶しいくせに。

「しかしまあなんだな。こんだけ美女が揃ってると周囲の羨望の目が痛いわな」

確かに俺はさっきからずっと野郎どもの嫉妬の視線を感じていた。

実際その環境になってみるとそんないいもんじゃないんだぞと訴えたくなるが。

何を贅沢な事をと言われることはうけあいである。

「そう? わたしは何も感じないけど」

こいつはバカだから無視するとして。

「志貴、どうしたの? その呆れた顔は」
「いや別に」

何もしてなくても注目を集めるほどの美人アルクェイド。

中身がこんなのだとは誰もしるまい。

「……」

翡翠は琥珀さんの後ろに隠れていた。

「うーん」

ここで待ってるのは翡翠に悪いかもなあ。

「おう。有間来たか」
「あ。イチゴさん」

そんな事を思っているとうまいタイミングでイチゴさんが現れた。

人ゴミの中なのでお馴染みの咥えタバコはナシである。

「ふーん。これが今回のメンバーね……」

ざっと全員の顔を眺めるイチゴさん。

ほとんど全員がイチゴさんは初対面のはずだ。

「やっほー。久しぶり」

まあ一度会っただけで親友みたいな接し方をしてるアルクェイドは例外として。

「どうも初めまして。不肖の兄がお世話になっています」

ぺこりと頭を下げる秋葉。

そういやこいつ外面はいやにいいんだよな。

アルクェイドとか先輩にはあんまりそういうことをしないから忘れてたけど。

「んー。綺麗な妹さんじゃないか。有間にはもったいないね」
「いえいえそんな事はありませんよ」

琥珀さんと顔を見合わせ苦称してしまった。

「まあ自己紹介とかは後回しにして……行くか」

そう言うとイチゴさんは駅とは逆の方向に踵を返した。

「イチゴさん。どこに行くんです?」
「ああ。この大人数じゃ電車なんぞかったるいからね。ワゴン借りてきた」
「ワゴンっ?」

ワゴンというのは大人数で乗れる車で……って説明する必要ないか。

「ああ。遠野家と愉快な仲間たちご招待ってね。さ、行くよ」
「駐車料金もバカにならねえからな。みんな急いでくれっ」
「え、あ、はい。行こう、翡翠ちゃん」
「は、はい」
「え、ちょっと待ってよ。ねえ電車はー?」

登場してわずか数分で乾姉弟はメンバーをまとめてまった。

「電車は今回はなし。次回のお楽しみってね」
「ちぇー……」

まあ多少と言うかかなり強引なところもあるけれど。

俺の人選は間違っていなかったようだ。

「はいはい脇道それない。こっちこっち」
 

みんなを引率するイチゴさんは俺の目にはとても頼もしく見えるのであった。
 

続く


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