必死で頼みこむ。
「……じゃあ」
折れてくれたようだ。
「じゃあ、なんだ?」
なるべく簡単なお願いなら嬉しいけど。
「キス、して?」
俺は思わず卒倒しそうになるのであった。
「屋根裏部屋の姫君」
姫君と過ごす休日
その6
「あ、アルクェイド……」
「駄目かな?」
「駄目じゃない駄目じゃない」
俺はぶんぶんと首を振った。
冗談じゃない。
くらくらした。
なんだってこいつはこう、男をぐらつかせるツボをついてくるんだろうか。
それは何度も思ってることなんだけど、何度あっても耐性がつくもんじゃない。
それはもう、本能に直接訴えてくる感じだ。
純粋な求愛行動を要求する言葉と仕草。
いやがおうにも身体の中の野生が引っ張り出されてしまう。
もし、ここが遠野家の玄関なんかじゃなくて、アルクェイドのマンションとか誰にも邪魔されない場所だったらキスどころじゃなく押し倒してしまっていただろう。
「くぅ……」
しかし理性が邪魔をする。
シエル先輩もいる、秋葉もいる。
そんな場所でどうにかなってしまうわけにはいかないのだ。
しかもこの状況って、全部俺のせいなんだよなぁ。
「……アルクェイド」
アルクェイドを強く抱きしめる。
「ん……」
腕の中で目を閉じるアルクェイド。
「ごめんな」
「ううん」
そうして、俺たちは短い口付けを交わすのであった。
「〜♪」
アルクェイドは上機嫌な顔で翡翠について歩いていってる。
「うーん……」
俺は悩んでいた。
アルクェイドがついてこないので呼びに来たという翡翠が、俺とアルクェイドを見た瞬間「志貴さま、女性の扱いが上手くなりましたね」とか言ってきたからだ。
「むーう……」
俺自身としては女性に振り回されてるばかりって感じがするんだけど、そうなんだろうか。
「……」
翡翠が男に免疫がないせいかもしれないなあ、うん。
俺はごく普通の高校生でしかないんだからなあ。
気のせいだろう、うん。
「志貴さま」
「ん?」
気付くと翡翠が客間のドアの手前で止まっていた。
アルクェイドも翡翠の隣で待っている。
「ここに先輩を連れてきたのか」
「はい。シエルさまと秋葉さまが中でお待ちです」
「そうかそうか……」
ん?
いま、とてもこの場にいたら困るやつの名前があった気がする。
「ひ、翡翠。今秋葉とか言わなかった?」
「はい。言いました」
「なななななな、なんで?」
休日の秋葉は自分の部屋で優雅にバイオリンとか弾いてたり読書にいそしんだりしてるはずなのに。
「たまたま階段を降りてきた秋葉さまとシエルさまが、廊下でお話をして、大変意気投合して是非もっと話したいと言っておられましたので」
「い、意気投合?」
あの二人が意気投合するなんて信じられない。
「はい。日頃シエルさまとは話がしたいと思っていたと秋葉さまは笑いながら仰って、シエルさまもそれは同意しますとやはり笑顔で仰っていました」
「……」
うわあ。
もう、二人の感情は表情と正反対だったに違いない。
翡翠はシエル先輩と秋葉が仲の悪いことなんか知らないから、勘違いしたのも無理ないだろう。
秋葉はともかく先輩は演技も上手いのだ。
……となると、この扉のむこうは今どうなっているんだろう。
考えただけでも恐ろしい。
開けた瞬間、死んでしまうんじゃないだろうか。
「……あの、いけないことをしてしまいましたか?」
よほど俺が絶望的な顔をしていたのか、翡翠が不安そうに尋ねてきた。
「いや、ううん。いいんだ。翡翠は悪くない、悪くないよ」
「ですが……」
「大丈夫だって」
そうだ、以前にも秋葉とシエル先輩とアルクェイドが揃ったことはあるんだ。
その時は冷や冷やしたけど、案外平和に進んでたじゃないか。
アルクェイドが秋葉に貧乳なんて言うまでは。
「はっ!」
そこで俺は重大な事実に気がついた。
「どうしたの? 志貴」
目の前できょとんとしているアルクェイドをじっと見つめる。
シエル先輩は教会の人だから真祖であるアルクェイドは敵。
秋葉はアルクェイドがいると俺の生活が乱れるやら勉学に差し支えるやらなんやらなので敵。
二人にとってアルクェイドは邪魔な存在なのだ。
つまり。
「……本気で二人が意気投合した可能性はあるな」
あり得ない話じゃない。
まずは二人で協力してアルクェイドをどうにかしようというのだ。
秋葉とシエル先輩二人で責められたら、さすがにキツイ。
アルクェイド本人は平気だろうけど、俺は耐えられないだろう。
言葉攻めでも、万が一格闘戦になったとしても一番不利なのは俺だ。
「うー……」
頭を抱えてしまう。
どうしたらいいんだろう。
二人をこれ以上待たせるわけにはいかない。
そんなことをしたらアルクェイドと何かあったと怪しまれてしまうだろう。
余計不利になるだけだ。
「うー……」
誰かを選ばなくてはいけない。
だが、その答えはもう決まっているのだ。
「とりあえず、先に言っておくけど。俺は今日、おまえと過ごすつもりだからな」
「え?」
「だから、アルクェイドと過ごすんだよ。秋葉でも先輩でもなく、おまえだけと」
「いいの?」
「ああ。最初っからそのつもりだったからな。それは変える気ないよ」
「志貴っ」
するといきなりアルクェイドが抱き着いてきた。
「お、おいっ」
「嬉しいな。わたし、てっきりシエルたちと一緒になると思ってたのに」
「……いや、それは無理そうだしさ」
それは無難なようで、もっとも危険な選択肢なのだ。
それこそいつ爆発するかわからない時限爆弾の傍にいるようなものである。
自殺行為にも等しい。
「秋葉もシエル先輩もそれには賛成しないよきっと」
俺の精神も持ちそうに無いし、その選択は出来ないのだ。
「じゃあ、どうするの? これから」
離れるアルクェイド。
「それをさっきから悩んでるんだって……」
つまり、いかにしてアルクェイドを選んだかを説明しなきゃいけないのだ。
屋根裏部屋のことを抜きで、しかもアルクェイドが恋人であるということも秘密(ばれたら殺されそうだし)にしてである。
できれば円満に、なおかつ自然な流れで。
そんなこと、可能なのだろうか。
「あはっ。何やらお困りのようですねー」
そこへ妙に楽しそうな声が響いた。
こんな状況を楽しめる人はひとりしかいない。
「琥珀さん……」
遠野家随一の策士の登場であった。
続く