俺は自分で言うのもなんだが珍しく机に向かっていた。
どう考えても体育教師のほうが向いていそうな数学教師ゴリアテ(仮名)が大量の宿題を出してくれたからである。
「うーん……」
俺はそんな勉強が大好きな優等生君ではない。
かといって不良生徒でもないので宿題は出来る限りやっておくことにしてあるのだ。
特にゴリアテは怒らせると怖いので、ほとんどの生徒が大量の宿題に悲鳴を上げながらもなんとか宿題をこなしてくる。
まあ一部俺の友人であるバカを除くが。
「むーう……」
とにかくこの遠野志貴も頭を抱えながら宿題を進行させている最中なのであった。
「駄目だ。全然思いだせん」
夕食を食べ終わってから俺はずっとこの宿題と格闘していた。
数学の問題というのは公式さえわかっていれば案外解けるものが多い。
しかし今日は数学の教科書を学校に忘れてきてしまったのだ。
それでもなんとか頑張って記憶をたどり、攻略していったのだが最後の1ページで止まってしまった。
その問題を解く公式がどうしても思い出せないのだ。
「……こんな時間だしなあ」
時刻は夜の12時を過ぎたところ。
もっと早くだったら先輩にでも電話してみるという手段も使えたのだが、もう今ごろは夜の巡回の準備中だろう。
邪魔をしちゃ悪い。
「うーん……」
そんなわけで30分ほど俺は苦悩していた。
「……しょうがない。あいつに聞いてみるか」
なんだかここ最近あいつに頼りきりのような気もするけど仕方がない。
俺は席を立つと、ベットの下まで歩いていって天井へと声をかけた。
「アルクェイド。まだ起きてるか?」
どすんばたんだだだだだだ。
何やらベットから転げ落ちたような音の後に駆け足の音。
「呼んだ?」
そうして屋根裏部屋に住むアルクェイドが扉を開けて顔を覗かせるのであった。
「屋根裏部屋の姫君」
第三部
「ああ。ちょっと数学の問題でわからないところがあってさ」
「そうなんだ。ちょっと待ってね」
アルクェイドはひょいと空中で回転してベットへと着地する。
「慣れたもんだな」
「まあね」
アルクェイドが俺の部屋の屋根裏に住み始めてからそろそろ10日になる。
最初の数日は色々とトラブルもあったが、今はもうすっかり慣れたものであった。
秋葉にも気付かれていないし、普段の生活もうまくいっている。
夜のほうもまあ、それなりに順調であった。
「どれどれ?」
猫模様のパジャマを来たアルクェイドが俺の横へとすりよってくる。
胸元とかがはだけていてかなりきわどい感じだ。
「えーと、これなんだけどさ」
「ふんふん」
アルクェイドは腕組みをする。
そしてすぐに思い出したような顔をした。
「これは三角関数よね。AH=ACcosθ=cos2θ BH=BCsinθ=sin2θ
したがってcos2θ+sin2θ=1。どう?」
「あー。それだそれ。そう。それだっ!」
「当たってた?」
「おう。さすがだな、アルクェイド」
「えへへー」
嬉しそうに笑うアルクェイド。
アルクェイドが数学の公式に詳しいのには理由がある。
俺が学校に行っていて暇な時間、アルクェイドは俺の部屋に置きっぱなしの教科書をずっと読んでいたのだ。
真祖であるアルクェイドの脅威の暗記力によって今ではこいつは俺よりも数学に強い。
ちなみに歴史地理物理政治経済その他なんでもお手のものである。
「まるで家庭教師の先生だな」
俺はアルクェイドにそう言った。
「先生? 先生って学校で勉強を教える人じゃないの?」
するとアルクェイドがそう尋ねてくる。
「まあそうだけどさ。家庭教師はそれとは別で、個人的に勉強を教えてくれる先生なんだよ」
「ふーん。なるほどね。じゃあわたしって学校の先生にも向いてるのかな」
「……いや、それは向いてないかも」
今でも時々俺が常識を教えなくちゃいけないくらいだし。
簡単な表現をするとしたらやたらと頭がよくて力のある子供なのだ。
俺以外の人間でまともにアルクェイドを扱えるのは先輩と琥珀さんくらいだろう。
「向いてないの? 駄目?」
「学校の先生になるには色々と面倒なことがあるからさ」
そんなことを言ったらアルクェイドは怒るのでとりあえずそう言って誤魔化しておく。
「むー。なんでもいいからわたしも志貴と学校いきたーい」
アルクェイドはまるっきり子供そのものの口調でそんなことを言った。
「またそれか。駄目だって言ってるだろ?」
ここ数日アルクェイドの主張はそればかりである。
「何で駄目なのよ」
「だからー。おまえが生徒のふりするには体が大人すぎるし。そもそも秋葉も先輩もいるんだぞ?」
まあ理由としては後半のほうが強い。
休みの日の騒動だけでも大変だっていうのに学校生活までそうなってしまったら気の休まる暇がなくなってしまう。
「それよ。秋葉もシエルもいいのにわたしは駄目だっていうのが気に入らないの。シエルなんかあからさまに年齢詐称じゃないっ!」
「……いや、そんなこと俺に言われてもなあ」
先輩曰く、高校生のほうが世を忍ぶ姿としては適しているそうなのだ。
先輩なら大学生でもやっていけそうな気もするのだがきっと色々と事情があるんだろう。
「とにかく駄目だ。屋根裏に住んでるだけで十分だろ? な?」
「むー……」
人はひとつの欲求を満たすとさらなる欲求を求めるという。
アルクェイドの場合、俺と同居という予想外の幸運を得たことで、学校にも一緒に行きたいという欲求まで強くなってしまったのだ。
「……わかった。我慢するわよ」
だがやがてアルクェイドは諦めたようにそう言った。
「そうか」
こうやって我慢が出来るようになったあたりにもコイツの成長が伺えるとは思うのだが。
成長しようがなんだろうが駄目なものは駄目だ。
「そのかわりまた何かマンガ借りてきてよねっ」
「わかってるわかってる」
マンガ数冊で妥協してくれるんだからそのへんはまだまだ子供である。
こんこん。
そこへノックの音がした。
「どうぞ」
「失礼します」
入室をオーケーすると翡翠が入ってきて軽く頭を下げた。
翡翠と琥珀さんはアルクェイドがここに住んでことを知っていて、色々とよくしてもらっている。
「どうしたの? 翡翠」
俺は翡翠に尋ねた。
「志貴さま、そろそろ就寝されないと明日に響きます」
すると翡翠は少し困った顔をしてそんなことを言う。
「あ、うん。もう寝るよ。宿題も終わったしさ」
なんとなく翡翠を困らせてしまうのはばつが悪い。
「アルクェイド。ありがとう」
「いいわよ別に」
手伝ってくれたお礼を言ったのだが、アルクェイドはむくれた顔で屋根裏部屋へと戻った。
「……何かあったのですか?」
そんな態度を取るアルクェイドを見て不思議に思ったのか、翡翠がそう尋ねてくる。
「いや、まあいつものことだよ」
「なるほど」
頷く翡翠。
このへんの事情も翡翠と琥珀さんはよく知っているのだ。
「でも、アルクェイドさまの気持ちもわかる気がします」
そして翡翠はそんなことを言った。
翡翠も学校に行っていない身なのでそのへんの気持ちがわかるんだろう。
「翡翠も学校に通えばいいのにさ」
だからそんなことを言ってみた。
「いえ、わたしはこの屋敷で志貴さまのお世話をさせて頂いているだけで満足ですから」
「……ひ、翡翠」
そんなことを言われるとなんだか恥ずかしくなってしまう。
「その……失礼いたしました」
赤面している翡翠。
「い、いや、その、ははは……」
なんとも言えず頬を掻く。
ばふっ!
「わっ」
するといきなり上から枕が飛んで来た。
「……あいつ」
どうやら今のやり取りを見られたらしい。
つまり翡翠はオーケーでアルクェイドは駄目と言う俺の意見を聞かれたことになる。
「まいったなあ……」
身から出たサビとはいえ苦笑せずにはいられない。
「申し訳ありません、志貴さま」
翡翠はすまなそうな顔をしていた。
「いや、いいよ。なんとかするからさ。じゃ、また明日」
「はい。おやすみなさいませ」
会釈をして翡翠が部屋を出ていく。
「はぁ。降りてこいよアルクェイド。遊んでやるから」
その後、いろんな手を使ってなんとかアルクェイドをなだめ、長い夜が終わった。
しかしそれで機嫌が直ったと思ったのは大間違い。
翌日に事件は起こるのである。
続く