翡翠はまだエト君の正面で硬直していた。

「翡翠ったら、あれじゃ永久に電池なんて入れられないんじゃないかしら」
「かもしれない」
「翡翠ちゃん……」

全員の視線が翡翠とエト君に集中する。

「……いーこと考えた」
「う?」

声の方を見るとアルクェイドが悪戯っぽい表情をしていた。

「シエル。協力しなさいっ」
「あ、ちょ、ちょっとこらアルクェイドっ……」
 

そして先輩はアルクェイドにさらわれてしまうのであった。
 
 






「屋根裏部屋の姫君」
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「あらら。一体何をなさるつもりなんでしょう?」
「うーん」

アルクェイドの行動を予想するってのはなかなか難しい事だ。

「兄さん。何かアドバイスをしてあげたらどうです?」
「アドバイスって言ってもなあ……」

一体何を言ってやればいいんだろうか。

「ひ、翡翠」

とりあえず声をかけてみる。

「……」

翡翠は無反応だった。

「翡翠?」
「……え、あ、はい。な、なんでしょう。志貴さま」

駄目だ。翡翠は完全に緊張しきってしまっている。

「んー」

そんなに緊張しないで、というのは簡単だ。

だが人っていうのはそんなことを言われると余計に緊張してしまうものだと思う。

「……」

とりあえず傍にあった知得留先生のぬいぐるみを触ってみた。

「ボンジュール。今日も知得留先生のガクガク動物ランドの時間が始まりました」

王道かつ基本的なセリフである。

「ほら。こうやって頭を触るのは簡単なんだからさ。電池を入れるのだって簡単だよ」
「で、ですが志貴さま……わ、わたしにそんな大役出来るのかどうか」
「……」

翡翠の心境はわからなくもない。

要するに、いきなりものすごい好きな芸能人の人が現れた。

話しかけてみたいけれど緊張してできない。

そんな感じなのだ。

しかも話すためのきっかけを、翡翠自ら作り出さなくてはならない。

翡翠は消極的なほうなので、とても難しい事なんだろう。

「出来るって。翡翠にしか出来ない事だよ」

俺は翡翠を応援するつもりでそう言ってやった。

「わわわわわ、わたしにしか……」

しまった。逆効果だった。

「兄さん。余計に緊張させてどうするんです?」
「そ、そんなこと言ったってさ」

応援っていうのはすごく難しい事だ。

やりすぎてもプレッシャーになってしまうし、かといってまったくしないのでは効果はない。

そのちょうどいいバランスってのも個々によって違うし。

「じゃあ秋葉がなんとかしてくれよ」

秋葉のほうが翡翠との付き合いは長いんだから、うまい応援を出来るだろう。

「わ、私がですか?」
「ああ」
「……」

秋葉はしばらく考え込むような仕草をしていた。

「わ。わかりました。翡翠?」
「は、はい。秋葉さま、なんでしょう」
「エト君に電池を入れなさい。早急に」
「……はい?」
「エト君に電池を入れるのよ。出来るでしょう?」
「……」

なるほど、秋葉は翡翠への命令という形を取ったのか。

秋葉が翡翠へ指示を出すというのは日常茶飯事のことだし、それなら翡翠も従えるかもしれない。

「……で」
「で?」
「で、ですが、その、なんといいますか……どうにも……難しくて……」
「……う」

秋葉の指示でも駄目か。

「翡翠ちゃん。わたしが……」

見るに見かねたのか、琥珀さんがそう言いかけた時。
 

「ボ、ボンソワール。皆さんお待たせしました!」
 

声が響いた。

「兄さん?」

知得留先生のぬいぐるみを見る。

ぬいぐるみの一番近くにいるのは俺だ。

「いや、俺は触ってないんだけど」

しかし俺はぬいぐるみには触っていないのである。

でも今の声は知得留先生の声だったような。
 

ばたん。
 

扉が開く。

「ぱんぱかぱーん! 知得留先生のとうじょー!」

そして勢いよく飛び出してきたのはアルクェイド。

「アルクェイド、何してたんだ?」
「いいから志貴は黙って見ててよ。ほら。知得留先生、さっさと来るっ!」
「……は、はい……」

アルクェイドの後ろからぎこちない動作で出てくる人影。

「うわ、すげえ……」

それはシエル先輩が先ほど琥珀さんに貰った衣装を着ただけであった。

本来は着ぐるみである知得留先生だが、これほどイメージがぴったり来る人は他にいないだろう。

それくらい似ていた。

「ど、どうも皆さんこんにちわ。さっそく今日の授業を開始させていただきます」

たどたどしくセリフを言うシエル先輩、いや知得留先生。

「か、感動です……わたしの眼力は間違っていませんでしたね……」

その姿に琥珀さんも感動しているようであった。

「知得留先生。今日はおともだちが来ているのよね?」

知得留先生に向かってそんなことを言うアルクェイド。

「え、ええ、はい。紹介します。翡翠さんです」
「……はい?」

知得留先生の言葉に翡翠はきょとんとしていた。

「はーい、翡翠の登場ー。みんな拍手ー」

アルクェイドはそんなことを言いながら翡翠の腕を掴むと、知得留先生の隣に立たせた。

「翡翠ちゃん頑張ってー」

笑顔で拍手をする琥珀さん。

「ほら、何してるのよ。志貴も妹も拍手。拍手」
「あ、うん」

とりあえず言われるままにぱちぱちと手を叩く。

「な、何をするつもりなんでしょう?」

秋葉は困惑しているようだった。

「……なんとなくはわかってきたな」

ここはアルクェイドに任せてみよう。

「それで知得留先生。今日のおともだちは何に挑戦するのかしら?」
「はい。電池を入れることに挑戦してもらおうと思います」
「電池を入れる? わたしもあれ苦手なのよねー」

情けない顔をしているアルクェイド。

もちろんそれは嘘だ。

さっきアルクェイドは手際良く電池を入れていたのだから。

だが翡翠のために敢えてそう言っているのだろう。

「志貴。その知得留先生のぬいぐるみを電池抜いて貸してくれない?」
「え、あ、うん」

俺は言われるままに電池を抜き取ってぬいぐるみを渡した。

「えーと……どうやるんだったかしらこれー」

右へ左へぬいぐるみを回転させるアルクェイド。

「大丈夫ですアルクェイド。それくらい翡翠さんが知っていますから。ね?」
「本当?」

知得留先生の言葉を聞いてアルクェイドはぬいぐるみを翡翠へと差し出した。

「……え、あ、はい。確か裏側に電池を入れる場所があったはずです」
「へぇー。それで、どうやって電池を入れるんだったかしら」
「はい。プラスとマイナスを見て、正しい方向で電池を入れるんです」

言葉通りに電池の方向を確認し、電池をはめる翡翠。

「なるほど。それでどうすれば喋ってくれるんですかね?」
「こうやって元に戻して……頭を撫でれば」

そしてぬいぐるみの頭を撫でる。

「ボンソワール。お元気ですか? 教授?」
「うむ。わたしは今日も絶好調だ」

翡翠が頭を触るのに合わせて琥珀さんが教授のぬいぐるみを喋らせていた。

しかもちゃんと会話が噛み合っている。

「あはっ。複数の個所を触る事で任意のセリフを言わせる事も可能なんですよー」

つくづく凝りまくりのぬいぐるみであった。

「さすが翡翠ね。簡単に電池を入れる事が出来たじゃない」
「……あ」

確かにそうだ。

エト君に対してはあれだけ緊張していた翡翠が、知得留先生のぬいぐるみにはあっさり電池を入れる事が出来た。

もちろんそれだけエト君が好きだってことなんだろうけど。

「そうですね。ではエト君にも同じ事をやってみましょうか」

人というものは、何かに成功すれば自信が沸いてくるものなのだ。

同じ仕組みである知得留先生のぬいぐるみでも出来たんだから、エト君でも当然。

「……やってみます」

翡翠の表情からは迷いが消えていた。

緊張した手つきながら、確実にエト君に電池をはめる。

そして。

「あなたをはんにんです」

ついにエト君が喋った。

「……」

翡翠は感動のあまり声も出ないようである。

「やったね……やったね翡翠ちゃんっ!」

琥珀さんはとても嬉しそうであった。

「よかったわね。翡翠」

秋葉も最初は馬鹿馬鹿しいといった感じで見ていたのだが、今は純粋に喜んでいるようであった。

「上手くいったみたいですね……」

安堵の息を漏らしているシエル先輩。

「お疲れさまです」
「いえいえ。お役にたてたようで幸いです」

おそらくガクガク動物ランドにも子供が参加して苦手なことに挑戦するというコーナーがあるんだろう。

だから翡翠はあっさりとその空気に溶けこんでいたのだ。

だが先輩は最初そんなことを知らなかったんだろう。

教えたのはもちろん……あいつだ。

「ね? 上手くいったでしょ」
「……ああ」

色々言いたいことはあったけど、俺もなんだか感動しすぎてしまって言葉が見つからなかった。

ただ、ひとつだけどうしても言いたいことがある。
 

「よくやったな……アルクェイド」
「えへへ」
 

アルクェイドは照れくさそうに笑うのであった。
 
 

続く



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