「では、食事にしましょうか?」
「ううう、うん」

一体何がどうなってしまったっていうんだ。
 

「あ、先輩のお弁当美味しそうですね。少し頂いてもいいですか?」
「どうぞどうぞ。あ、アルク先生、ちょっとカレーパン頂いてもいいですか?」
「ええ、好きなだけ」

ほほえましくお弁当やパンを分け合う三人の女性。

「遠野……俺、なんか俺具合悪くなってきたかも」
「……だな」
 

野郎二人揃って得体の知れない寒気に震えるのであった。
 
 








「屋根裏部屋の姫君」
3の8














「ただいま……」
「志貴さま、どうなされました? 具合が宜しくないのですか?」
 

午後の授業も終わり家に帰ると、出迎えてくれた翡翠の最初の言葉がそれだった。

「俺、そんなに酷い顔してる?」
「はい。なんだか精神的に疲弊しきっているというか……」
「……ああ、それ当たってるかもしれない」

昼食の平和なはずの風景。

シエル先輩と秋葉と、それからアルク先生が仲むつまじく食事を食べている。

それがどうにも信じられない光景で。

そう、例えて言うなら翡翠が突然料理が美味くなったような。

翡翠を知らない人だったら別に驚くことじゃないだろうけど、知っている人間にはそれはものすごく意外なことなのだ。

今日の昼の光景もそれと同じで、秋葉とシエル先輩の不仲を知っている人間なら俺と同じ心境になっただろう。

午後の授業はもう何があったのかすら覚えてないほどである。

「――何か、あったんですか?」

控えめに翡翠が尋ねてくる。

「いや――ただ突然秋葉と先輩が仲良くなった。それだけなんだけど」
「……」

翡翠が珍しく驚いた顔をしていた。

つまりそれくらい信じられない出来事なのだ。

「嬉しいことのはずなんだけどさ。いきなりそんなことになってたもんだからなんか……」
「心中お察しいたします」
「……うん」

そこに加えてアルク先生の存在。

アルク先生が秋葉やシエル先輩と仲良くしている光景も、ものすごく奇妙だったのだ。

その累乗効果で俺はかなり精神的に参っていた。

しかもおかしいと思っているはずなのにどうしてなのかがわからない。

それが一番辛かった。

「……まあ、うん。ちょっと部屋で休めば元気になるって」

軽く腕を曲げて力瘤を作るポーズ。

「姉さんに栄養ドリンクを調合してもらいましょうか?」
「あー、うん。そうだね。お願いしようかな」

体力を回復するためのドリンクではあるが、それを飲んだ、ということによる気持ちの安定が大事なのである。

「かしこまりました。すぐに作ってもらいますので」

ぺこりと頭を下げる翡翠。

「頼むよ。……ああ、それと」
「はい。なんでしょうか」
「アルクェイドのやつ、朝にどっか行ったって言ってたけど、まだ帰って来てないの?」
「……はい。まだ戻られてないようですが」
「そっか」

どこに行ったんだろう、あいつ。

「わかった。ありがとう翡翠」
「いえ……」

翡翠にお礼を言って階段を昇る。

「……」

2階から翡翠を見ると何かを考え込むような仕草をしているのであった。
 
 
 
 
 
 

「はぁ……」

ベットの上に転がり込む。

精神の疲れっていうのは肉体の疲労よりもある意味で辛い。

体が平気でも頭が駄目だともうどうにもならないからだ。
 

ばたん。

「志貴さま」
「……ああ、翡翠」

体を起こそうとする。

「そのまま寝ていらしてください」
「そう? ……悪いな」

せっかくなので翡翠の好意を受けてそのまま寝ていることにした。

「姉さんもすぐに参りますので」
「そっか」
「はい」
「……」
「……」

会話が途切れてしまった。

しばらくしても琥珀さんは現れない。

何か話さないとちょっと気まずくなってしまう。

「……そういえばさ、今日、なんかアルクェイドに似た先生を見たんだよ」
「アルクェイドさんに?」
「ああ。でもさ、別人なんだ。そっくりなんだけど」
「そうなんですか。どのくらい似ておられたのですか?」
「いや、もう凄いそっくりでさ。髪の色も格好も目の色も全部。俺も一瞬本人じゃないかって思ったんだけど」
「それは……本人なのでは?」

翡翠が控えめな様子で尋ねてくる。

「いや、違うんだよ。メガネかけてるし。秋葉や先輩とも仲がよかったし」
「……眼鏡、ですか」

翡翠はなんともいえない顔をしていた。

「な、なんかあるの?」
「はい。つい先日に、アルクェイドさんが伊達眼鏡を持ってこられまして。『似合う?』とわたしに尋ねていたのですが……」
「そそそ、そんなの聞いてない……けど」
「……はい。その、志貴さまには絶対内緒だと仰られていたのですが」
「……」

アルクェイドが眼鏡を用意していた。

そしてアルク先生は眼鏡をかけている。

「もしかしたら、その、アルク先生はアルクェイドさんの変装なのでは」
「……」

考えようとすると頭痛がする。

「い、いや……でも、アルク先生と……アルクェイドは別人なんだよ、うん」
「何故そう思われるのです?」
「なんでと言われても……そんな気がするだけで……」

最初は明らかにアルクェイドだと思っていたのに今は完全に別人だと思っていた。

「それは……あり得ないことだ、と思いこもうとしているのではないですか?」
「……えと、いや……」
「世の中何があるのかわからないのですよ? 特にアルクェイドさんは不思議な力を持っています。志貴さんを欺くくらい簡単なのでは」
「そ、そんなことないって。いくら俺でもアルクェイドの変装くらいわかる」
「……そうでしょうか」
「そうだって。いくら俺でもわかる」
「でも、もう騙されてますよ? 志貴さん」

そう言って翡翠はにっこりと笑った。

「……え?」

ちょっと待て。

翡翠がそんな口調で笑顔を浮かべるわけがない。

しかも今翡翠はなんて言った?

志貴さん。

アルクェイドさん。

「……」

翡翠が俺を呼ぶときは志貴さま。

アルクェイドを呼ぶときはアルクェイドさま。

「……まさか」
「ええ。実際に体験してみせただけですよー。志貴さんはとても騙されやすいと。翡翠ちゃん。もうオッケーだよ。出てきて」

ゆっくりとドアが開く。

そこにいるのは翡翠。

俺の目の前にいるのも……翡翠。

いや。

「まさか……琥珀さんの変装?」
「はい。大当たりです」

そう言って翡翠――いや、琥珀さんはにっこりと微笑んだ。

「どうです? こうやって翡翠ちゃんがにこやかに笑うのもなんだか変な感じでしょう」
「ね、姉さんっ」

翡翠がちょっと怒ったような声を上げる。

「まあ、翡翠はもっと控えめな笑い方をするからね」
「……」

頬を赤らめる翡翠。

「志貴さんはわたしが翡翠ちゃんだと思っていた。だけど実際は違った。そこに違和感を覚えたわけです」
「……っていうか二人は似すぎてるからな」
「あはっ」

翡翠の格好でころころと笑う琥珀さんを見て翡翠も複雑な表情である。

「アルク先生が秋葉さんやシエルさんと仲良くしているのも、まるでアルクェイドさんが仲良くしているようで違和感があったんではないでしょうか?」
「……そうなのかもしれない」

そのへんになるとどうも思考がぼやけてしまうのだ。

「ちなみに今はもうわたしと翡翠ちゃんの違いが区別できますよね?」
「ああ、うん。ちなみにいつから入れ替わってたの?」
「志貴さまを出迎えたのはわたしです。飲み物をと頼んだら姉さんが……」
「琥珀さんが?」

奥にいる琥珀さんを見る。

いや、違う。琥珀さんは手前だって。

「あはっ。わかりにくいでしょうからコレ外しましょうか」

琥珀さんが頭のフリフリを外してくれる。

これで区別は完璧だ。

「今日はアルクェイドさんの動向が怪しかったですからね。おまけに志貴さんは何か疲れていると言いますし。何かあるなとちょっと探ってみたわけですよ」
「そうなんだ……」
「ええ。それで、アルク先生とアルクェイドさんはそっくりなんでしょう?」
「えと、うん」
「アルクェイドさんのそっくりさんなんて世の中にそうはいませんから。それは間違いなく本人ですって」
「……いや、だから別人なんだよ」
「それは志貴さんが何かされたからですよ。志貴さんってば元々鈍いのにこれ以上ニブチンになられては困ります」

なんか何気に酷いこと言われてる気がする。

「確認しましょう。アルク先生は眼鏡をかけているから別人なんですね?」
「うん」
「では次。アルクェイドさんが眼鏡をかけたらどうなりますか?」
「……アルクェイドが眼鏡をかけたら?」

考えてみる。

「……っ」

とたんに頭痛。

「なるほど。そのへんを何かされたようですね」
「……そ、そうなのかな」
「はい。間違いありません」

断言されてしまった。

「では、こうしたらどうでしょう?」

そこで翡翠が口を開く。

「どうするの?」
「はい。ですからアルクェイドさんに眼鏡をかけてもらうんです。そうすれば」
「……そうするとどうなるの?」
「だからー。アルク先生と同じになるんですよー」

琥珀さんは苦笑していた。

「そうなのか」
「そうなんですっ」
「わ、わかったよ。帰ってきたらやってもらう」
「はぁ。早くいつもの志貴さんに戻ってくださいねー。あんまり変わりませんけど」

また酷いことを言われてる気がする。

「それでアルクェイドさんがアルク先生だとわかったら……こう言って差し上げましょう」

翡翠が少しむっとした顔をしていた。

「……な、なんて?」

そしてそのままびしっと俺を指差すとこう言うのであった。
 

「あなたを犯人です」
 
 

続く



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