そこで翡翠が口を開く。
「どうするの?」
「はい。ですからアルクェイドさんに眼鏡をかけてもらうんです。そうすれば」
「……そうするとどうなるの?」
「だからー。アルク先生と同じになるんですよー」
琥珀さんは苦笑していた。
「そうなのか」
「そうなんですっ」
「わ、わかったよ。帰ってきたらやってもらう」
「はぁ。早くいつもの志貴さんに戻ってくださいねー。あんまり変わりませんけど」
また酷いことを言われてる気がする。
「それでアルクェイドさんがアルク先生だとわかったら……こう言って差し上げましょう」
翡翠が少しむっとした顔をしていた。
「……な、なんて?」
そしてそのままびしっと俺を指差すとこう言うのであった。
「あなたを犯人です」
「屋根裏部屋の姫君」
3の9
「来ませんねー」
「来ないなあ」
俺たちはアルクェイドに眼鏡をかけさせる作戦を実行するべくアルクェイドを待っていた。
ちなみに翡翠の「あなたを犯人です」発言はアルクェイドが犯人だとつきつけるためのもので、俺が悪いんだとかそういう意味ではなかったらしい。
ついでに「あなた『を』犯人です」と言い間違えてるのも突っ込むと翡翠が泣いてしまいそうなので黙っておいてある。
「……貴方を犯人です」
律儀に翡翠は決め台詞を練習してたりした。
それでも何故か間違っているのがとても悲しい。
「ふだんはすぐに戻ってくるんですけどね」
「だよなあ」
こういうときに限ってあいつは戻ってこないのである。
一応「眼鏡なんて持ってないわよ」を避けるために伊達眼鏡を用意してある。
「度が入ってないとケントデリカットごっこが出来ないですよねー」
「……出来てもやらないよ」
琥珀さんはとてもハイテンションだった。
「姉さん、楽しそうですね」
練習を中止して翡翠が尋ねる。
「当然ですよー。誰かの悪事を暴く瞬間。こんなに楽しいことはありません。この印籠が目に入らぬかー! ってやつです。燃えますねー」
やはり格好も着物なだけあって時代劇が好きらしい。
「姉さんは誰かを策にはめるほうが好きだと思ってました」
何気に毒舌の翡翠。
「相手の策を見破るのも策士の醍醐味ですよー。まあ今回の場合アルクェイドさんが大ポカやらかしちゃったのがいけないんですが」
「大ポカ?」
「ええ。わたしたちに志貴さんと同じ暗示をかけなかったことです。わたしたちは学校に行かないから不用だと思ったんでしょうね」
「うーん」
俺はその暗示にかけられてる身らしいのでなんともいえない。
「ちなみに志貴さん。秋葉さまも様子がおかしかったんですよね?」
「ああ、うん。それはあからさまだった。先輩と仲良くしてる時点でもうどうかしてる」
「……寒気がしますね」
身震いする琥珀さん。
「うん」
そこは俺も同意せざるを得なかった。
「そういえば秋葉さまももうすぐお帰りになるのではないでしょうか」
「あ、そういえばそうですねー。お出迎えをしなくては」
琥珀さんはぽんと手を叩いた。
「えと、ではアルクェイドさん眼鏡っ子作戦は後にしていただけませんか?」
「あ、うん。別に構わないけど」
っていうかそんな作戦名だったのか。
「まだ秋葉がおかしいかも気になるし、俺もついてくよ」
一応ふがいないながらも兄として妹の身が気になった。
「そうですか。では志貴さんも一緒にお出迎えですね。秋葉さまも喜びますよー」
そういう琥珀さんが一番嬉しそうなのであった。
で。
「ただいま琥珀。今日もお疲れ様」
「うわぁ……秋葉さまがホントにおかしくなってますね」
秋葉の言葉を聞いた琥珀さんの第一声がそれだった。
「おかしい? 何を言ってるのかしら琥珀は?」
「だだだ、だって、秋葉さまがわたしをねぎらう言葉をかけるなんてありえないですよっ?」
「……確かに」
今日なんか少し迎えに行くのが遅かったくらいなので「遅いわね琥珀」くらい言いそうだったのだが。
「秋葉、どうしたんだ一体?」
そんなわけでついそう尋ねてしまう。
「そんな。お兄様まで何を言っておられるのですか」
「お、お兄様っ?」
アルク先生に志貴クンと呼ばれた時のような寒気が走る。
「し、志貴さん。この人ほんとに秋葉さまですかっ? 別人なんじゃないですかっ?」
「いや……秋葉に似ているような人もそうはいないと思うけど」
伊達や酔狂ではなく秋葉は一応お嬢様なのである。
それなりに気品などの雰囲気が備わっているのだ。
しかし今の秋葉はそれを凌駕して胡散臭いぐらいお嬢様していた。
まるでフランス貴族か何かのように。
「私は私です。お兄様も琥珀もどうなさったんですか?」
普段だったら「何を言ってるんですかこの人たちは」みたいな目をするだろう秋葉が、本当に困った様子で俺と琥珀さんを見ている。
「ど、どうやら秋葉さまは志貴さん以上に強烈な暗示をかけられてるみたいですね。口調まで変わってしまうなんて」
「……そうなのか」
俺が暗示をかけられてるのはわからないけど、こうやって秋葉がおかしくなっているのを見ると、何かしらあったと思わざるを得なかった。
「シエル先輩もこんな風になってるのかな……だとしたら怖いな」
ごきげんよう遠野君じゃ別の世界の人である。
「二人とも、何を言っているのかわからないのですが」
「いえいえ。なんでもありませんよ。気になさらないで下さいな」
首を傾げる秋葉に琥珀さんはそんなことを言った。
「琥珀さん、なんで?」
小声で尋ねる。
「だってアルクェイドさんに何かされた云々を話して、元に戻った時それを覚えてたら厄介じゃないですか」
ああ、そうか。
それはもうブチ切れモード突入してしまうだろう。
「まあ気にしないでくれ」
「はぁ……お兄様がそう言うのでしたら」
しかしアルクェイドのせいで秋葉がこんな口調になっているとしたら、アイツはよほど秋葉を偏見の目で見ていたんだろう。
アルクェイドの思考では
秋葉=タカビーなお嬢様。すぐ怒る。
シエル先輩=うっとうしいメガネ。カレー。
翡翠&琥珀さん=メイド1とメイド2。メイド2は要注意。
とかなんじゃないだろうか。
それをタカビーとすぐ怒るを除いてただのお嬢様にしてみたのだろう。
「……」
そうとわかったらちょっと試してみたくなってきた。
「秋葉」
琥珀さんと何やら話している秋葉の肩を叩く。
その際、人差し指をまっすぐ伸ばしておくのだ。
「何ですか? お兄……」
ぷに。
すると秋葉の頬に俺の人差し指が当たる。
「やーい、引っかかった」
なんだかいささか子供じみてるが、かなりの人間が引っかかる悪戯である。
「な、何をなさるのですかっ」
「なんとなくだけど」
「止めてください……もうっ……」
顔を紅潮させて懇願してくる秋葉。
正直言ってかなり可愛い。
「いや、悪い悪い」
だけどやっぱり違う。
やっぱりいつもの秋葉の反応――例えば「何するんですか兄さんっ!」と怒鳴ってくれたほうがしっくりきた。
「では秋葉さま、お部屋に参りましょうか。さ、志貴さんもお部屋に戻ってはどうですか?」
「あ、うん。そうするよ」
間違いなく秋葉は学校にいたときより変になってしまっている。
ひょっとしたらアルクェイドのやったことは時間が経つと効果が増すものなのかもしれない。
俺のことだけならまだいいけど、秋葉や先輩まで巻きこんだのはちょっと腹が立った。
二人は完全な被害者なのだ。
あのバカ、帰ってきたらしかってやろう。
だが、しかし。
「……もう日が変わるな」
いくら待ってもアルクェイドは帰ってこないのであった。
続く