「兄さん、もしかして」

両手に何も持っていない俺を見て秋葉は不信感を抱いたようだった。

「い、いやっ。買ったは買ったんだっ。それは間違い無い」

慌てて言い訳をする俺。

「……ではどこかに忘れたと?」
「その、シエル先輩の家の冷蔵庫の中に」
「あらあら、それじゃあ返してくれ、とは言い辛いですねえ」

くすりと笑う秋葉。

「そ、そうだなあ、うん」

これはもしかしなくても。

「では兄さん。中へどうぞ。大事なお話がありますので」
「……」
 

俺もななこさんと同じ運命を辿りそうであった。
 
 





「屋根裏部屋の姫君」
第四部
姫君と居候
その21













「まったく兄さんときたらたまに珍しいことをいうから期待していたら案の定、抜けているんですから」

夕食の席。

秋葉は大変ご立腹のようである。

どれくらい怒っているかというと、いつもだったらマナーマナーとうるさい秋葉がかちゃかちゃと音を立て続けているくらいだ。

「ぐぅ」

しょうもないのでうなってみる。

「そうですねー。手にメモでも書いてもらえばよかったでしょうかー」

琥珀さんも苦笑していた。

「志貴さまは愚鈍です」

翡翠にまでそんなことを言われてしまう。

食べ物の恨みというのは恐ろしいものだ。

「ええ。まったく本当に兄さんは駄目ですね」
「うう……」

今日はそんなのばっかりである。

アルクェイドにいいところを見せようとして失敗するわ、うっかりななこさんの胸を触ってしまってあらぬ誤解を受けてしまうわ。

何をしても裏目に出てしまっている。

厄日というのはこういう日のことを言うんだろうか。

「はぁ……」

ため息をつき、それからたくあんをかじる。

なんでたくあんなんか食ってるかというと。

「本来なら食事抜きといきたいところですが、それではさすがに気の毒です。ですからこれを食べてください」

と秋葉に出されたのがたくあんとご飯だったのである。

「あら琥珀。今日はいつもよりいいキャビアを使っているの?」
「はい。ちょっとその筋の方から安く手に入れることが出来ましたのでー」
「……大丈夫でしょうね、それ」

くそう、これ見よがしとばかりにキャビアなんか食いやがって。

秋葉のほうはいつもの倍くらい豪華な食事だった。

その対比が俺をみじめな気持ちにさせる。

「……おかわり」

そんな気持ちを誤魔化すためにひたすらにご飯だけを食べていた。

「志貴さま……もう三杯目です。そんなに食べられて大丈夫ですか?」

翡翠が少し困った顔をしている。

「いいんだよ。たくあんが美味いから箸が進むんだ」

秋葉への皮肉のつもりで俺はそう言ってやった。

「でも志貴さん、有名な川柳でもあるじゃないですか。『居候 三杯目には そっと出し』と」
「う」

居候か。

その言葉にはどうにも弱かった。

「そうだな……俺なんかどうせただの居候風情だしな」

半ば自虐的に呟く。

「あらら。志貴さん拗ねちゃいましたよ」
「放っておきなさい、琥珀。自業自得なんだから」
「鬼妹」

心が荒んでいるのか、ついそんなことを言ってしまった。

「な、なんですってえっ!」

がたんと音を立てて立ち上がる秋葉。
 

ジリリリリリリ! ジリリリリリ!
 

そこへ電話の音が響いた。

「わわわ。志貴さん、秋葉さま、ケンカは駄目ですよ。わたしは電話に出てきますんで、あと翡翠ちゃんよろしくっ」
「ね、姉さんっ」

あ、琥珀さんが逃げた。

「兄さん……鬼妹とは聞き捨てならないですね。本来なら晩御飯を抜きにされてもいいような状態だったんですよ? それを許して差し上げたというのに」
「なんだよ。おまえは豪華なもの食べてたくせにさ」

売り言葉に買い言葉、つい俺もヒートアップしてしまう。

「あ、あれはたまたまです。兄さんがそんな日にミスをするのがいけないんですよ」
「ミスなんて誰だってするだろ。おまえは全部完璧だっていうのか?」
「……っ」

秋葉がたじろいだ。

「俺だって悪いと思ってるさ。秋葉たちにいろいろ迷惑かけてるし、このままじゃ駄目だって思ってる」
「え?」
「だっていうのに、たかがゼリーを忘れたくらいでこんな扱いは酷すぎるんじゃないか?」
「たかが……たかがですって?」

俺の言葉に秋葉は顔を強張らせる。

「兄さん。私はどれだけそれを期待していたと思っているんです」
「……え? ゼリーをか?」
「違いますっ! わたしは兄さんが私たちに気を遣ってくれたのが嬉しかったんです。だからそれに応えようと琥珀に豪華な食事を用意させて。だっていうのに、兄さんは忘れたです」
「そ、そうだった……のか?」
「はい。秋葉さまは大変喜んでおられました」

翡翠が淡々とした口調で語る。

「……」

それはつまり、今までの俺がいかに秋葉に気を遣ってなかったかということである。

だからこそ秋葉は喜んだし、あっさりとそれを忘れた俺に腹を立てたのだろう。

それが俺だけ貧相な食事にするという行為になってしまった。

「……ごめん、俺。全然気づかなくて」
「い、いいんですよ。私も私で少しやりすぎたようです」

どぎまぎしながら答える秋葉。

「ただ、ある意味では兄さんが忘れてくれてよかったのかもしれませんね」

それからくすりと笑う。

「え?」
「だって、兄さんが言い返してきて口論になるなんて始めてかもしれませんから」
「あ……」

確かにそうだ。

今までは秋葉に言われるがままで、俺は頭を下げるばかりだった。

「おかしいですよね。兄妹なのに」

兄妹ならケンカだって当たり前のはずだ。

どちらかが言われるだけのまま、言うだけのままの関係なんておかしい。

「そうだな……」

俺は居候じゃなかったんだ。

俺は秋葉の兄で、秋葉は俺の妹なのである。

「うん。そうだ。確かにそうだ」

俺は何度も頷いた。

「じゃあ、これからは秋葉の言葉に屈するだけじゃなくて、言い返すことにする。思ったこともちゃんと伝えるから」
「それは嬉しいですね。具体的にはどんなことを?」
「ああ。だから口うるさくするなとか、もっと自由にさせろとか……」
「……調子に乗らないでくださいますか、兄さん」

にこりと笑う秋葉。

「ゴメンナサイ」

やっぱり力関係はそう簡単には変わらないようであった。

「あっきはさまー。志貴さーん。朗報、朗報ですよー」

そこに琥珀さんが満面の笑みを浮かべて帰ってくる。

「どうしたの? 琥珀」
「ええ。はい。電話の主はシエルさんだったんですけど。志貴さんの忘れ物に気がついて、これから届けに来てくれるとのことです」
「え? ……じゃあ」
「本当っ? じゃああのゼリーが食べられるのねっ?」

秋葉は目をきらきらと輝かせている。

「……おーい」

実は本当にゼリーを忘れたのに腹を立ててたくあんにしたんじゃないだろうか。

「な、なんですか? も、もちろん兄さんが優先ですよ? ただゼリーが戻ってくるならそれはそれで嬉しいことだということです」
「そうですよー。志貴さん、疑心暗鬼はよくありません」
「……」
 

妹だろうがなんだろうが、俺には女性の心理なんてさっぱり理解できないのであった。
 
 

続く



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