先輩は照れくさそうに頬を掻いていた。
それから諦めたような顔をしてこう言うのであった。
「つまるところ、やきもちなんです。ただの」
「屋根裏部屋の姫君」
第四部
姫君と居候
その28
「焼餅っていうと、正月に食べるあの」
「遠野君。それはマジボケですか?」
なんか形容しようがないほど呆れ返った顔のシエル先輩。
「い、いや、さすがに冗談だけど……」
やきもち、つまり嫉妬。
人がやきもちを焼く理由というのは、どちらかが思い人であった場合が大抵であり。
「つ、つまり先輩は俺の事が……」
「遠野君、それは遠野君が口にする事ではないです」
「ご、ごめん」
反射的に頭を下げる。
「まあ、どちらかというと可愛い後輩が取られてしまったみたいな感じなんですけど」
悟りきった表情のシエル先輩。
「おかしいですよね。アルクェイドとわたしで遠野君に出会ったのはほとんど同時なのに、そんな感情を抱いてしまうなんて」
「いや、でも恋に時間は関係ないっていうし」
「……遠野君、それむしろ追い討ちなんですけど」
「ご、ごめん」
なんだか謝ってばかりである。
「あはは。わたし怒ってばかりでしたからね」
「うん……だから教会の人だからそうなんじゃないかってずっと思ってた」
「わたし自身もそうでした。ですが教会関連なら警告はするかもしれませんが怒る事はなかったはずなんです」
「……かもな」
最初の頃の先輩はそれこそクールそのもの、仕事に徹し切っていた。
「途中からおかしいなと思い始めたんです。そして出た結論が、わたしはアルクェイドに嫉妬しているんだな、と」
「そ、その……ごめん」
「遠野君が謝る事はありませんよ。ただ、わたしよりもアルクェイドのほうがよっぽど青春を謳歌しちゃってて、それがちょっと悔しかった。それだけなんです」
「……」
先輩もアルクェイドも色んな事情で青春という最も楽しい時間を味わえなかった人だ。
ところがその片割れのアルクェイドは恋をして、俺という恋人を得てしまった。
「何気にわたしとアルクェイドは付き合いが長かったんですよ。だから、例えて言うなら親しい友達のほうが先に彼氏が出来てしまった、みたいなところでしょうか」
「……」
そうだよなあ。
俺なんかよりも先輩のほうがよっぽどアルクェイドを知っているはずなのである。
ところがそのぱっと出の俺がアルクェイドを奪い去ってしまった。
シエル先輩にとっては二重のショックだったんだろう。
「だから、その、遠野君は何一つ悪くないわけでして。迷惑な話でしたよね」
「いや、迷惑だなんてそんな。俺、何にも知らなくて」
「いえいえいえいえ。それこそわたしの勝手な都合なんで」
「……」
こういう場合、俺はなんと言えばいいんだろう。
「その……本当にごめん」
ただ謝ることしか出来ない自分が悔しかった。
「だからー。謝らないでくださいって。悪いのはわたしなんですよ?」
「でも……さ」
「優しすぎるんですよ、遠野君は。そんなに優しいから、わたしだって」
「う……」
シエル先輩は教会の人間でもなく、学校の先輩でもなく、ただの女の子の顔をしていた。
「俺は……どうしたら」
「そう……ですね。いっそ、突っぱねてくれたほうがありがたかったりします」
「……わかった」
俺はすっと右手を先輩へ向けて伸ばした。
シエル先輩は目を閉じる。
「じゃ、これで」
先輩の右手を取り、思いっきり後ろに押し、そのまま俺に向けて引っ張った。
「えっ……」
ピシャアッ!
俺が振らせた先輩の平手が頬を打つ。
「ちょ、ちょっと遠野君?」
「い、いてて」
自分でやったこととは言えかなり痛かった。
「いや、さ。俺は先輩を突っぱねる事なんか出来ないし……その、都合のいい話かもしれないけど、今までどおりでいてくれたほうが嬉しい。でもけじめはつけなきゃいけないから」
「……」
先輩はしばらくの沈黙の後、大きなため息をついた。
「まったくしょうがないですねえ、遠野君は」
「……先輩」
「言っておきますけど、そんな我侭が通用するのは相手がわたしだからですよ?」
「じゃ、じゃあ」
「えー。とりあえず話の流れでわかってますけど確認させてください。遠野君。あなたはアルクェイドとどういう関係ですか」
「え、あ、うん……付き合ってる。恋人関係だよ」
「わかりました」
シエル先輩は満面の笑みを浮かべ。
「じゃあ、改めてけじめってやつでひとつ」
「え」
それこそ体が反転するくらい振りかぶって。
ピシャアアアン!
強烈な平手が俺を襲った。
「い、いってええええっ!」
痛い、いや熱い。
打たれたところがじんじんしている。
「はぁ。これですっきりしました」
先輩は実に満足げだった。
「これで遠野君に無駄なアタックをかける必要もなくなりましたからね。ある意味楽になったのかもしれません」
「え? 俺、アタックなんてされてたっけ?」
「……」
あ、なんか余計なこと言ったかも。
「遠野君。もう一回だけ叩かせて貰っていいですかね?」
「えと……はい、どうぞ」
「……せーのおっ!」
それこそ脳が揺れるような、そんな衝撃と音が響くのであった。
「遅れてすいませんー。ちょっと話が長引きまして」
「あ。シエルさん、志貴さん。遅いですよー。もう」
琥珀さんは毎度おなじみガクガク動物ランドの人気キャラ、ミスター珍のコスプレになっていた。
「やってるみたいだな」
「志貴さま……」
なんと翡翠までピンク色のチャイナ服だ。
格闘ゲームだったら2Pカラーといったところだろう。
「あはっ。今日の翡翠ちゃんはミス2Pです」
というかそのものだったようだ。
「兄さん、遅かったですね。何をしていたんです?」
「あ、いやあ、ちょっと」
この空間も異世界のようでどうにも戸惑ってしまう。
さっきまでのやり取りは夢じゃなかったよなあ。
「あ。来週の授業の打ち合わせをしていたんですよ。わたしと遠野君でメガネコンビをやろうかと」
先輩が俺にむけてぱちりとウインクをする。
「うわー。メガネコンビですかー。一部のマニアにバカウケですねー」
「う、うん。そうなんだ。すごい面白いものになると思うよ」
もう先輩はすっかりいつも通りの調子だ。
頬の痛さだけがさっきのやり取りが確かにあったことを主張している。
「そうなんだ。それじゃあ来週も楽しみね」
にこにこと笑っているアルクェイド。
「……ええ。楽しみにしていてください」
シエル先輩がアルクェイドを見てほんの僅かだけ曇った顔を浮かべていた。
「……」
先輩だって人間だ。
そんな簡単に気持ちの切り替えが出来るわけもない。
確かに今までのやり取りはあったのだ。
「……」
先輩がそこまでしてくれているのに、俺のほうがこんな調子じゃ悪いだろう。
「よーしっ。じゃあみんなでいっちょ体操でもするかっ。体操は健康にいいぞっ」
俺はなるだけ元気いっぱいの声で、皆に提案するのであった。
続く