「そうだ。ちょっといいかな」

聖霊っていうのは目に見えていても触れられないというイメージがある。

そしてその聖霊を手が貫通するっていうのをちょっと試してみたかった。

「はい。なんでしょう?」
「うん、ちょっと……」

俺はななこさんに向けて手を伸ばす。
 

むにゅ。
 

「……あ……れ?」
 

不思議と俺の手は柔らかいものを掴んでしまうのであった。
 
 






「屋根裏部屋の姫君」
第四部
姫君と居候
その6







「……?」

ななこさんは最初何が起こったのやらと目をぱちくりしていた。

「……」

それから目線を下に。

俺の手が見た目以上にふくよかな、ななこさんの胸を掴んでいる。

「い、いや、これはその」

この状況じゃ何を言っても駄目だろうけど俺は弁明を試みてみた。

「わ、わわわわわわわっ!」

ななこさんは顔を真っ赤にして手を振り回し。
 

ぱこーん。
 

右ストレートが思いっきり俺に炸裂した。

「ぐおっ……」

視界がくらくらと揺れ、そのまま俺はぶっ倒れてしまった。

とんでもない衝撃を受けたようだ。

「わ、わっ。ご、ごめんなさい。志貴さん、大丈夫ですか?」

俺に駆け寄ってくるななこさん。

「い、いや、大丈夫。俺こそその……ごめん」
「志貴、何してるのよ。胸くらいならわたしのを触らせてあげるのに」

両腕で胸を抱え上げアピールするアルクェイド。

「ち、違う。聖霊っていうくらいだから体を腕が透けるんじゃないかなって思ってさ」
「あー。普段だったらそうでしょうねー。でも、今はわたし、アルクェイドさんに具現化されちゃってますから。質量のある残像みたいな状態なんです」
「ふーん……」

わかるようなわからないような。

「シエルはあなたと会話する時って具現化してる? 可視化してるだけ?」
「えーと、マスターは可視化だけですね」
「それは何が違うんだ?」
「具現化は主人以外の人間でも触れ、見える状態にするの。可視化は見えるだけ。具現化のほうが面倒なはずね、確か」
「ふーん」

つまりアルクェイドだからこそ出来る芸当ということか。

「あ、でもわたし、ご飯食べてる時は例外無く具現化してますね」
「そ、そうなの?」

なんだか拍子抜けしてしまった。

「あー。世界の矛盾に引っ掛かっちゃうんだっけ?」
「らしいですー」
「また難しい言葉が出てきたな……」
「ええと、にんじんを食べているわたしがそこにいるのに姿がそこにないという矛盾を補うためにわたしが具現化されるわけです」
「うーむ」

記憶を辿ってみると有彦の家でにんじんを食べているななこさんを見たような気がするのだが、それもその矛盾とやらのせいなんだろうか。

だが何故有彦の家に?と確認するのも怖いので俺はその件について追求するのは止めた。

「っていうか、ご飯……食べるんだ」

そもそもそこが意外なことである。

聖霊は自然から勝手にエネルギーとかを得るものだと思っていたんだけど。

「はい。わたしはにんじんが大好物なんですよー」

ななこさんはにっこりと笑っていた。

「にんじん?」

そこで俺は台所に置いたダンボールのことを思い出した。

「アルクェイド。ひょっとしてあのにんじんって……」
「ええ。この子の維持用よ?」

なるほど、維持っていうのはななこさん、つまり武器の維持という意味だったのか。

そんな事して大丈夫なのかなあ、こいつは。

「あの、なんのお話でしょう?」
「いや、アルクェイドが滅茶苦茶大量のにんじんを持ってきたんだよ」

俺は台所にあるそれを指差した。

「え、ええっ?」

慌てた様子で台所へ飛んでいこうとするななこさん。

「え、ちょっと」

だがその軌道は俺の真正面なのである。
 

ごすっ。
 

当然の如く俺とななこさんは激突した。

「い、いたた……」

おでこを抑えているななこさん。

「だ、大丈夫?」
「う、うっかりしました。うー。具現化状態っていうのも不便なものですね」

長い間透過状態に慣れちゃうとそうなってくるんだろうなあ。

壁抜けとかそういうのにはちょっと憧れたりもする。

「ほら、にんじん」

と、アルクェイドがダンボールを運んできてななこさんの前に置いた。

「わ、わわわわわ……ゆ、夢じゃないですよね? これは?」

それを見たななこさんは目をぱちくりさせている。

「夢だったら痛いとかそういうのも無いと思うんだけど」
「そ、そうですよね。夢じゃないですよね。うわー。わたし感動で言葉もありませんよー」

と言っている割にはよくしゃべっていた。

「いくらでも食べちゃっていいわよ。シエルがいない今がチャンスなんじゃない?」
「は、はい。どうもありがとうございます。うう、本当にアルクェイドさんがわたしのマスターだったらよかったのに」
「それはいくらなんでも無理ねー。教会の連中が怒り狂うと思うわ」
「むぐむぐ……世の中上手く……はむ、いかないものです」

にんじんを幸せそうにほおばりながらしゃべるななこさん。

「うーむ」

それにしても教会の兵器と真祖の姫君が仲良くしている光景というのはなかなか奇妙であった。

先輩とアルクェイドもこういう風に仲良くやっていければ嬉しいのだが。

「そうだ。先輩ってアルクェイドのことなんて言ってるのかな」

ななこさんになら普段言わないようなことも話しているかもしれない。

「むぐ……えーと、最初はほんとに憎むべき敵、仇敵だと言っていたんですが……はぐはぐ」
「あ、いや、一度飲み込んでからでいいから」
「はい。はむはむ……んぐっ」

あっという間ににんじんは無くなってしまった。

「で、その仇敵だーって頃にわたし改造されちゃったわけなんですが。最近はわたしを使う機会も減ってきていますね。あんまり戦うのは苦手なんで嬉しいことです」
「そっか……」

アルクェイドが暴走した時も先輩はアルクェイドを「殺したくない」と言っていた。

アルクェイドが自我を持ち、感情を持っていく過程で先輩もやはり変わっていったんだろう。

けどまあやはり表面的にはいがみ合うことのほうが多いわけで。

「ただ、志貴さんとアルクェイドさんが仲良くされているのはどうにも許せないようです。やはり恋敵というやつなんでしょうかね」

ここだけの話ですよ? と念を押すななこさん。

「そ、そうなんだよなぁ」

俺とアルクェイドが一緒にいると先輩は機嫌が悪くなる。

どうしてそんなに? と思うくらいだ。

「ちぇ。シエルもわたし相手じゃ勝てっこないのに。諦め悪いのね」

アルクェイドは顔をしかめていた。

「な、なんの話だ?」
「朴念仁にはわからない話よ」
「むぅ」

アルクェイドにまで朴念仁よばわりされてしまった。

そんなに俺はニブチンなんだろうか。

「そうですねー。マスターもそのことはかなり悩まれているようです」
「ほんとよ。志貴ってそういうのダメダメなんだから」
「だ、だから何の話なんだよ」
「ん? だからわたしと志貴が恋人同士なのにシエルが邪魔しようとしてるって話」
「先輩が……?」
「え、えええええっ! そそそ、そうだったんですかあっ!」

驚愕の声をあげるななこさん。

「ええ。肉体関係だって何度もあるしね」
「……ば、ばか、おまえ……」

どうしてなんのためらいもなくそんなこと言うかなあ。

俺のほうが恥ずかしくなってしまう。

「わわわ。こ、これは大ピンチです。そんな情報マスターに聞かれたらわたしに八つ当たりされちゃいますよっ?」

ななこさんはにんじんをかじるのも忘れて慌てていた。

「わたしは話しても全く問題無いわよ?」
「だだだだ、駄目ですっ。今の話は聞かなかったことにします。わたしは何も見てないし聞いてませんし言いません」
「……うん、そのほうがいいだろうなあ」

やはりなんといってもアルクェイドは真祖の姫君なわけで。

それを考えて先輩には俺とアルクェイドが恋人関係だと話した事はなかったのだ。

「サクラチルですね……うう、可哀想なマスター」

ななこさんは天に向かって祈るようなポーズを取っていた。

「うーむ」

とにかく先輩には俺たちが恋人同士だというのは内緒、と。

「それにしてもシエル遅いわねえ。早く帰ってきてくれないかしら」

時計を見てアルクェイドが呟いた。

俺たちが家に来てからだいたい一時間が経っている。

「あ。そういえば聞くの忘れていたんですが、マスターに何かご用事なんですか?」
「ええ。ちょっと教会関連の資料を見せてもらおうと思って。にんじんはその手土産だったのよ」
「あー。じゃあそれはむしろわたしがお礼をしなくてはいけないみたいですねー」

またぱこんといい音を立てて手を叩くななこさん。

「では、わたしがこの家の秘密を余すところなくお教えいたしましょう」
「ほうほう。それは楽しそうな催しですねえ」
「……」

だがある人の声を聞いた瞬間、ななこさんは完全に固まってしまった。

「せ、先輩……」
「こんにちわ、遠野君」
 

ななこさんの後ろには、満面の笑みを浮かべているがこめかみには怒りマークの浮き出たシエル先輩が立っていたのである。
 

続く



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