またぱこんといい音を立てて手を叩くななこさん。
「では、わたしがこの家の秘密を余すところなくお教えいたしましょう」
「ほうほう。それは楽しそうな催しですねえ」
「……」
だがある人の声を聞いた瞬間、ななこさんは完全に固まってしまった。
「せ、先輩……」
「こんにちわ、遠野君」
ななこさんの後ろには、満面の笑みを浮かべているがこめかみには怒りマークの浮き出ているシエル先輩が立っていたのである。
「屋根裏部屋の姫君」
第四部
姫君と居候
その7
「せせせ、先輩。いつの間に?」
「ええ。『マスターに何かご用事なんですか?』のあたりからです」
となるとギリギリ恋人云々のところは聞かれていないようだ。
それは不幸中の幸いというかなんというか。
「あわわわわわ、い、いえ、今の言葉はそのう」
だがななこさんにとっては完全にアウトだったようである。
「セブン。仮にも教会の聖典である貴方がアルクェイドなんかに、しかもニンジンごときで買収されてどうするんですかっ!」
びしっと台所のにんじんを指差すシエル先輩。
「だ、だってにんじんは美味しいですし……じゃなくてっ。アルクェイドさんは単に好意でにんじんを持ってきてくださったんですよぅ。わたしはそのお礼にとー」
「いえ。仮にも真祖であるアルクェイドの施しなど受けるわけにはいきません。そんなニンジンなど捨ててしまいなさい」
「そ、そんなっ! そんなことをしたら農家の人たちが泣きますよっ? これらのにんじんは汗と涙の結晶で……」
にんじんのダンボールに覆い被さるななこさん。
「せ、先輩。ななこさんの維持にはにんじんが必要なんだろ? あって困るもんじゃないんだからいいんじゃないか?」
「そうよそうよー。せっかく持ってきたんだからちゃんと受け取りなさい」
すると先輩はとても困った顔をした。
「わ、わたしだってこんなにありがたい贈り物は喜んで受け取りたいところです。ですが、それでは聖職者としてのわたしという立場が……」
「あー」
教会というか宗教の規律っていうのは知らない人が考える以上に厳しいものなんだろう。
「ちぇ。教会本部は普通にわたしの援護を受けてたじゃないの」
「あ、あれは仕方のないことだったんです。わたしごときが口だし出来る問題じゃないんですよっ」
「むー。じゃあどうすればいいのよ」
腕組をするアルクェイド。
「うーん」
要するに先輩にとってはアルクェイドから物を受け取るというのが問題なわけである。
「よし。アルクェイド。おまえ、俺にあのにんじん全部くれないか?」
「ええっ! そんなあっ!」
今にも泣きそうな顔をしているななこさん。
「……いや、ななこさん、落ちついて。すぐ終わるから」
これは俺の作戦なのだ。
「志貴、そんなににんじん好きなの?」
「ばか。違う。そういうわけじゃないけど……とにかく貰っていいな?」
「まあシエルがいらないっていうなら別に構わないけど」
首を傾げながらも承諾するアルクェイド。
「よし。今の聞いたな? 先輩」
「え、あ、はい。まあ」
先輩もきょとんとしていた。
「じゃ、ななこさんちょっとどいてね」
「うう、志貴さんは鬼です悪魔です鬼畜ですー」
だーって感じで涙を流しているななこさん。
なんだかマンガチックである。
「も、もうちょっとで終わるから待ってて。……じゃ、アルクェイド。これでこのダンボールの中のにんじんは俺のものになったわけだな?」
「まあ、そういうことになるわね」
「よし。じゃあ先輩。この俺からにんじんを全部受けとって欲しいんだけど。いいかな?」
「あっ……」
先輩も俺のやろうとしている事に気付いたらしい。
「す、すいません、遠野君。手間のかかることをやらせてしまって……」
「いや。気にしないでよ。で、もちろんいるよね?」
「はい。どうもありがとうございます。ありがたく受け取らせていただきます」
深々と頭を下げる先輩。
要するにアルクェイドからにんじんを受け取るのがいけないわけで、俺から受け取るぶんにはまったく問題ないのである。
「色々めんどさいのねえ」
「……しょうがないでしょう、こればっかりは。月の食費収入等も書いて提出しなきゃいけないんで。このにんじんはアルクェイドに貰いました、じゃあ格好がつきません」
「確かに教会の面目丸つぶれになっちゃうもんなあ」
「実際、アルクェイドの協力で解決した事件も多いんですけれどね。……まあ極秘事項だから深くは語れませんが」
「ふーん……」
まあお互い持ちつ持たれつといった感じだろうか。
「まあそれが人間ってものなんだからしょうがないんじゃないの? シエルも大変よねー」
アルクェイドが妙に感心していた。
「あはは……」
苦笑するシエル先輩。
「え、えと……どうなったんでしょうか?」
きょとんとしているななこさん。
「これでにんじんは先輩のものになったから。後は好きなようにしてよ」
俺はぽんとななこさんの肩を叩く。
「あ、ありがとうございます。うわーんっ」
するとななこさんは感極まったのか俺に抱き着いてきた。
「え、ちょ、ちょっと……」
「なっ……セブンっ? あなたなんで遠野君に触れるんですっ?」
それを見た先輩が驚愕の声をあげていた。
「わたしが具現化してあげてたのよ。シエル、気付くの遅いわねー」
「あ、あなたが?」
「ええ。まあシエルにはセブンが普段通りなわけだから仕方ないか」
どうやらななこさんのマスターである先輩には四六時中ななこさんが見えているらしい。
「……てっきり遠野君のために可視化した程度だと思っていました。さすがに真祖の力は伊達じゃないですね……」
感嘆の声を漏らす先輩。
「うーむ」
普段の行いを見ているとそんなに凄いやつだとは思えないんだけど、先輩の反応を見ているとアルクェイドの凄さというのが実感されてくる。
「で、そもそも遠野君とアルクェイドは何故家に来たんです?」
「あ、そういえば話してなかったっけ」
今更って感じもあるけれど、やはり説明しておかなきゃいけないだろう。
「アルクェイドのやつが先輩の家に来たいって言ってさ」
「アルクェイドが?」
視線をアルクェイドに移す先輩。
「ええ。ちょっと教会の資料を見せてもらおうかなって思って。そしたら鍵が開きっぱなしだったから入って留守番してたのよ」
「か、鍵が?」
「ああ。開きっぱなしだった」
「そ、そんなはずは……」
「シエル、メシアンのチラシを見て飛んで行ったんでしょ? 鍵なんて頭に入ってなかったんじゃない?」
悪戯っぽい笑みを浮かべるアルクェイド。
「なっ……何故そこまでっ? ……セブンっ!」
「わ、わわわ、わたしは真実を述べたまでですよっ?」
先輩に睨まれななこさんはびくついていた。
「い、いや。気持ちはわかるよ。メシアンのカレーは美味いからな」
なんだかななこさんがかわいそうなのでフォローを入れてみる。
「ですよねっ! わかってくれますかっ? 遠野君っ!」
その途端にきらきらと目を輝かすシエル先輩。
「今日はですね。チキンカツカレーを頼んだんですよ。そしたら……」
「う」
どうやら俺は触れてはいけないことに触れてしまったようだ。
「なんとスパイスが……で、ですね。……なんですよ? 信じられます?」
カレーの話題。
それは先輩が暴走するスイッチなのである。
続く